男は女で、女は男で人生のあゆみが決まる。なぜなら、男が女に、女が男に求めるエクスタシーに入るセックスを、過去の思慕に求めるのか、未来の出会いに求めるのかで、生き方が決まるから。
「愛を読むひと」を見た。一回見てわからないなと想った。翌晩、たまたまつけたケーブルテレビで吹き替え版をやっていたので、もう一度見た。でも、わからなかった。
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この主人公のミヒャエルは、薄情な男なのだ。そうとしか、とらえようがない。自分ではいいことをしているつもりで、女を傷つけることしかできない。
なぜミヒャエルは、ハンナに「秘密」を明かすように説得しなかったのか?最後に会った時、なぜ抱きしめてあげなかったのか?なぜミヒャエルには「対話」の意味が分からないのか?
ネタバレ覚悟であれば、このブログを読むとよくわかる。女性視点からミヒャエルの薄情さを書いている。
それでも、なぜミヒャエルが薄情な男になってしまったかの理由は明らかにされていない。
翌朝、ミヒャエルは女性との関係の仕方が15歳でとまってしまったまま50歳になってしまったのだと気づいた。年上の女性との充実したセックスは、このままでいいのだとからだのレベルから納得させてしまうのに足りるものであった。その後にミヒャエルに起こったことは、15歳の時点で成熟を止めてしまうのに足るだけの衝撃を持っていた。だから、最後の対話で「彼女はあなの人生を変えたことを分かっていたの?」と聞かれてても、自分が未熟であることを言われていることに気づかない。
逆に言えば、セックスに飢えた男はなんでもする。10代、20代のセックスへの渇望は、男を一人前にせざるを得ない。それは、セックスがなぜセックスなのを体験したことがないから、飢えるのだ。
ミヒャエルの対極は「存在の耐えられない軽さ」のトマーシュかもしれない。トマーシュは女たちとのセックスを通して、成熟していく。そうそう、ミヒャエルには存在が重いのだ。重すぎるのだ。
トマーシュ | ミヒャエル |
存在の軽さ | 存在の重さ |
意思 | 決定論 |
キッチュ | バロック |
成熟 | 未熟 |
自由 | 全体主義 |
ボヘミアン | 定住 |
複数の女性 | 一人の女性 |
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