HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「米百俵」

長岡が職業人としての私の原点であった。

家業を継ぐべきか、否か。高校時代は家業には背を向け、大学に入り、心理学を学び、そのまま学者になろうと決意していた。それでも、大学に入ってから、どうも自分がまなびたかったこととは違うと感じ始めた。大学二年の夏だったか、長岡へ旅立った。年来、「峠」で親しんだ河井継之助の足跡をたどるのが目的の一人旅だった。

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (上巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (中巻) (新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

峠 (下巻) (新潮文庫)

いま思えば、あの旅あたりから家業を継ぐことの決意ができた。そこそこの家柄の河井継之助が、江戸、京都に遊学し、山田方谷に師事するなど、当時としては最先端の学問を究め、故郷に帰るや、財政を再生し、大戦略のもとに戦う。そんな姿に自分を重ねた幼稚な自分がいた。

前にも書いたが、いまは復興に尽力した人物、たとえば三島億二郎の活躍にこころ惹かれる。いや、そのように生きることを願う。

自分の原点である長岡に、いま私が再度訪れることができたことに感謝したい。短時間とはいえ、まだ春の訪れない長岡での散策は、自分の原点を確認する作業であった。

今回、小林虎三郎の俵百俵の重さを改めて感じた。

百俵百俵といって騒ぐが、その百俵を藩士全員で分けたらどうなると思うか。考えてみるといい。家の戸数は千七百、家族全員では八千五百人にのぼる。なれば、一人当たり四合か五合しかない。(中略)


わたくしはこの米百表をもとにして学校を建てたい。これで人物を養成する。子供をいっちょ前の男に仕立てあげるのだ。まどろっこしいようであるが、これが戦後の長岡を建て直す。

こうして「常在戦場」、「至誠」の教育を叩き込まれたのが、山本五十六だ。

山本五十六

山本五十六

それでも、どこかに河井継之助の滅びの美学へのあこがれをこの人に感じてしまうのは、長岡への思い込みのせいだろうか。