エヴァンゲリオンはほとんどしらない。それでも、カラオケで「残酷な天使のテーゼ」を歌うやつがいるから、このテーマ曲を歌える程度にはなった。この歌詞は女との恋をうたっていないと、カラオケで歌っているうちに気づいた。母子関係は壊されなければならないという歌詞にしか私には読めない。
「残酷な天使」とは「少年」=息子であろう。母親と分離していない蜜月の幸福を体験しながら、その状態から這い出て行かざるを得ない。少年とは、無償の愛の対象である「赤子」=「天使」であると。
二段目の「蒼い風...」以下は、母親がまだ赤ん坊の息子をあやしている姿に合致する。
三段目の「だけどいつか...」は、母親はいつか息子を失ってしまうことに最初から気づいている。「羽根」が生えているので、とびだってしまうのが息子である。自分のものでずっといれるわけではないと。
四段目は、少年が性に目覚め、「パトス」という射精を行う「男」になってしまえば、もう母親の元にはいられなくなる。どれだけ愛し、育てても、いや、健全に育てるがゆえに自分のもとを離れてしまうという矛盾。それが「残酷な天使のテーゼ」である。
二番の歌詞も、それぞれの段の意味するところは同じ。「自由を知るためのバイブル」とは、「自由な男に育てる役割を担っている」という意味にとれる。
そう感じているのは私だけでは少なくともない。
碇ユイが、まだ赤ん坊であるシンジに対する想いを唄ったものだと思う。
自分の息子がやがて担うであろう過酷な運命を彼女は知っている。
http://teri.2ch.net/eva/kako/978/978105272.html
シンジの方はそんなことは知らず母親の顔を見つめてただ微笑み、
母親を求めることに夢中になっている。
将来、彼は母に決別し、自ら未来を切り開かねばならない運命にある。
ユイは、出来ることなら時が止まってこのままでいて欲しいと願う。
だがその想いが、やがて確実に裏切られることを彼女は知っている。
たしかに、実際の成り立ちなどからすると、作詞家は必ずしも母子関係の矛盾を意識をしていなかったのかもしれない。
この曲を手がけた大月俊倫は、作詞家と作曲家をあえて一度も会わせずに制作させており、作詞を担当した及川眠子は本編内容をほぼ全く知らない状態で作詞している[1]。
残酷な天使のテーゼ - Wikipedia
しかし、この歌を大声でカラオケで歌う男は、意識せずとも母子関係の矛盾を感じているに違いない。つまりは、よろこんでこんな歌をうたう男は、マザコンであると。
■やっぱり!
作詞家の及川さんのサイトを拝見した。はっきりおっしゃっている。
あれは「坊や大きくならないで」というメッセージを、レトリックを使いまくって書いているだけ
http://www.oikawaneko.com/ap/arukeba/095.html
■参照