「情事の終わり」を読了した。まるで映画と違う物語だった。
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2009/06/03
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映画で見たときには、物語とカソリックの関わりがみえてこなかった。小説では、カソリックの神が実は主役だ。これでもかといわんばかりに、奇跡を示す。
- 作者: グレアムグリーン,田中西二郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1959/03/27
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あとがきを読むと、カソリックの神の矛盾ゆえに信じるという話が出てくる。私には、これは仏教の苦集滅道にしか読めなかった。
それはともかく、いまの私にはカソリックの信仰よりも、男女の愛についてのグレアム・グリーンの考察がぐっときた。
創作の仕事は、作家のうわっつらの生活に左右されるところが、存外に大きなものだ。作者は、買物のことや、所得税の申告や、折にふれての会話などに心を奪われているようだが、無意識の流れは掻き乱されることなしに、問題を解決したり、これからさきの計画をたてたりしながら流れ続けている。
そして、「憎しみや疑惑」によって、この「無意識の流れ」が破壊されてしまうのだと、この辛辣な人間観察の名人であるグレアム・グリーンは書いている。「憎しみや疑惑」に囚われている限り、そこから一歩も勧めないことを私も最近知った。
この嫉妬の病には、不信という症状が出る。
やはりわたしは自分が大勢の男のなかの一人にすぎない−−−当座のあいだ可愛がられている恋人にすぎない−−−という確信を抱いて家に帰ることが度重なった。こんなにも憑かれたように恋しくて、夜中にふとめざめてもすぐに彼女のことが頭にうかんで眠れなくなるこの女、それほどこちらも焦がれていたが女のほうでもすべての時間をわたし一人に捧げているように見えた。それなのにわたしは少しも女を信じることができなかった。
男女の間の業とは実に深いものだ。仏教になぜ不邪淫戒があるのか、よくわかる。