HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

お金は使う人によって価値が違う

当たり前のことに気づいた。

ももちさんが「手紙としての通貨」とおっしゃっていた。信頼と物流となによりも防衛と治安の問題なのだろうが、お金をどう離れた場所へ送るのはついこの間まで非常に難しかった。メディチや三井が栄えたのも両替と為替であった。

メディチ家が取り入れたフェニキアのシステムで、最重要なものは、為替システムと、変動相場制であり、為替発行業務や取次ぎ業務、また、都市毎の為替の交換レートが変動するシステムを巧みに利用し、ファイナンステクノロジーで富を築いていったのです

がん治療と免疫 : 医薬品産業のルーツ メディチ家の毒 - livedoor Blog(ブログ)

本来お金とは払う人と受け取る人との間によほどの信頼がないと授受できなかった。そして、お金の価値は額面だけでなく支払う、受ける側の信頼と信頼を表現するしぐさにあった。「思いやり」といってもいい。どのようにお金を払うかが、払い手と受け手の間で、後々まで永続する信頼関係を築けるかを決めた。だからこそ「穢れた金」とか「そんな金はつかえん」という人がお金に対して意地をはっていた。お金をやりとりするとき、本当にやりとりされていたのは一対一の信頼であった。

市場経済が高まり、法の規制がすみずみまでいきわたるようになり、お金を「運搬」するために必要な治安が高まると、お金はお金の価値としてのみ図られるようになった。消費する側も一般化し、サービスや商品を提供する側も一般化した。意地や個性は重んじられなくなった。「会社」、「消費者」という一般的な名前のもとに、ほんとうはさまざまな個性があり、信頼の程度が違うものをひとつのレベルで扱われることが一般化した。お金の匿名性がたかまったということだ。

そして、お金の匿名性がたかまったので、ものが流通しやすくなり、商売がやりやすくなった。しかし、匿名性が強くなってしまったお金が「虚」の世界へ行ってしまい、今回の金融危機を生み出したのだともいえる。

数日前から考えているのだが、まとまらない。とりあえず公開しておく。