id:sakamataさんのブクマを読んで、ももちさんにどうお返事すべきかのヒントがわいた。
結局、資本主義ってどっかで開発が進んでいないと回らないようにできてるわけだよね。地球がもうどれくらいの大きさかわかって、だいたいの輸送と連絡の方法が確立されてしまえば、開発の限界に到達してしまう。それを超える開発をまねる行為はもう資源の無駄使い以外のなにものでもない。
かくして、現実の世界を変える実用的技術の飽和と、世界の資源の総量が明らかになった時点で、爆発的縮約、ハコモノ2.0の到来は回避することができず、資本主義は必ず崩壊することになる。それ以降の知識、技術はきっといかに資源を最小に使って人類を楽しませるかにつながるだろう。
そうしないためには、宇宙という新たなフロンティアを設定するしかない。それだけが資本主義の生き残る道であろう。定常状態では実は資本主義は息ができない、時間泥棒がその本質なのだからね。
そして、その陰にはこれまでの産業に特化してきた産業と会社の崩壊につながる。しかし、産業と会社が個人の本質だと勘違いしてはならない。個人は時間の花を持っているのだからね。
楽しまなきゃ!どんな時代が来ても。
■もちょっと言葉を変えると
十分にネットワークが整備され情報が人々に行き渡り、交通ネットワークが十分に確保され物流が確保されていて、現在と将来の天然資源の量もほぼ確認されれば、人口は自ずから減っていくだろう。日本がその最先端の例だ。
人口が減っていく社会であれば、金額で示されるのではなく「なにができるか」ベースでお金をはかれば、お金は現在と将来の時間の総量となるので、お金も減っていく。このことが了解されれば、利子率はマイナスになるのが当然だということになる。日本の経済の将来に誰も期待していないのはこのためではないか?
資本主義社会が崩壊しても、政府の財政が崩壊しても、世界が終わるわけではない。人々はこれまで相当に違う生き方をせざるをえなくなるだけだ。人類の歴史の中で、世界中おお金が交換可能となり、ほぼすべてのものがお金と価値の上で交換可能になった時期の方がはるかに短い。
逆に言えば、お金という尺度を通して、世界は縮約するためのインフレストラクチャを作る開発主義を選択していたのだ。19世紀に言われた資本主義の姿と20世紀の資本主義があまりに異なっているのは、この一点ではないだろうか?お金の世界はその境界を地球の隅々にまで行き渡らせ、ひとつの限界点に達している。
ああ、その意味ではももちさんのおっしゃる開発主義の終焉とは、資本主義の限界点を示すということなのかもれいない。
また考える。
■少消費
ばっと・のっと・じ・おんりぃ・わん。
究極は少消費 (Arakiss)
2008-11-19 10:02:39結局これも一種の先送りな現況消費社会の延命対処療法に過ぎないのではなかろうか...
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大勢指向(まだ芽生えですが)はエネルギーを含め「少消費」であるし、そうあるべきでしょう。経済萎縮は悪いことばかりではない、もしかすると来るべき良き社会への過渡期なのかもしらん。児孫の為にも...みんなが生き延びる道でもある。
■お答えになりませんが...
今回のエントリーがももちさんの真摯な問いかけのお答になるかはなはだ自信はないのですが...
それから、信頼通貨に関しては、エンデの影響が大きすぎるのか、減額する貨幣、マイナス利子を強調する方が多い。けれどそれって、流動性や消費を高めるための経済対策でしかないわけで、それと信頼ってどうつながるのよ、なのである。
モモログ|今更ネットワーク思考―建設業のIT化から見える信頼通貨への疑問。
信頼をベースにしても、トラバ、コメントなどのマイクロストロークをベースにしても、やはりべき分布することはします。んで、プレゼン能力ゼロでも、それでも生き残るためには、これが境界だと命をかけて自分で決めて、どっかで閉じて、どっかで開くコミュを作るしかないのでしょう。んで、んで、それが開発主義=資本主義の次に来る世界かどうかわからないですけど、そういう社会になる前に息絶えてしまいそうな気がするけど、そういう時にこそ信頼というか、友愛というか、そういう絆が大事にもう一度なるのではないかなと。これまで地域とか血縁とかで境界を定義せざるをえなかったのが、ネットワークを使って、もちょっと違う絆に対して開かれたことの意味はそれでも大きいと思っています。