HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

総選挙が来る!

タイトルはつり。ま、それでも11月23日が総選挙らしいと人に教えてもらったと書いておく。

大学味講」をようやく読了した。最後の部分に現代に通じる知恵を感じたので、抜き書きしておく。

財を生ずるに大道あり。之れを生じる者衆(おお)く、之れを食(は)む者寡(すくな)く、之れを為(つく)る者、疾く、之れを用ふる者舒(ゆるや)かなれば、則ち財恒に足る。

農業と工業などを分けたところに慧眼があると菅原先生もおっしゃっているが、農業のみが土地を広大に必要とすることの意味は大きい。工業は生産性があがればあがるほど、土地を必要としなくなる。クルーグマンの土地の地価のシミュレーションはまさにこの点に注目していた。

結局、経済とは資源をいかに配分するかであり、技術という期待をあおる不確定要素がこの200年あまりの経済を支配していた。ここでもし技術革新が止まれば、すぐさま停滞が生じ、中国の古典期のような状況が再現されるであろう。

これは大学ではなく、二宮尊徳

予、常に人に諭す。一日十銭取りて足らずんば、九銭取るべし。九銭取りて足らずんば、八銭取るべし。それ人の身代は多く取れば、益々不足を生じ、少なく取りても不足なきものなり。是れ理外の理なり。

この辺からまさに停滞した状況での改革の方向性が出てくると私は思う。

其の衆斂の臣あらんよりは、寧ろ盗臣あれと。これを国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すと謂ふなり。

これをこう現代語に訳していらっしゃる。

(なぜなら、身分相応の俸禄を受けておりながら、更に内職や鶏や豚や牛を飼うことをすれば、一般の人々はそのために職を失うようになるからである。また戦車百乗を持つほどの家では、それ相応の租税の収入もあるのであるから)民の膏血をしぼり取るような「聚斂の臣」を養っておく必要はない。人民から重税をしぼり取ってくるような「聚斂の臣」がいるよりは、むしろ府庫の財−即ち「公金」−を盗む「盗臣」のほうがよい。

この一文だけでいまの日本の方向性が間違っていることを示しているように私には思える。陽明学の徒である山田方谷の改革は、この大学や伝習録を十分に研究しつくしたうえであった。