HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「正しい頑張り」方

マキャベリズムではないのだが、統治の正当性が保証されている国であれば、目先の倫理観や公平性よりも全体の繁栄が優先されるべき。国益とはなにかという議論が全くなされない国は異常だ。

民主主義とは手続きの問題であり、保証され得ない統治権のかっこうをつけるための方便でしかない。まがりなりにもリーダーシップを発揮することを仕事としていて意思決定とは一人の人格における創発的に行われる以外はありえないことを日々実感する。国においても同じだ。

以前から「安心安全」そのものは組織の目的とはなり得ないと思っていた。「安心安全」とは驚くほど簡単に人を堕落させ、子どもたちを無能にする。危険とリスクと背中合わせの生活こそが人が最も人らしく生きることになる。

それは叡知の、最高の結論だが、
「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、
自由と生活を享くるに値する」

[書評] ファウスト、最期の科白: HPO:個人的な意見 ココログ版

言葉を変えれば、変化を恐れないことだ。

■追記

実は6月8日は私の誕生日でありました。誕生日なのに、あまり前向なエントリーでなったことを恥じます。多くの方からメッセージやお気づかいをいただきました。感謝申し上げます。どうも数え方が分からないのですが、少なくとも気持ちの上では、厄年を脱しつつあるようです。