HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「人間の安全保障」

今朝のNHKのニュースを見ていて、横浜でのアフリカの安全と開発についての会議で「人間の安全保障」がひとつのテーマになるというアナウンサーの説明におやと思った。

アフリカ開発会議(TICAD)は、日本政府が国連、世界銀行等と共催するアフリカの開発をテーマとする国際会議です。これまで、1993年から5年に1回、東京で開催され、今回が初めての東京以外の都市での開催となります。

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「人間の安全保障」というと、昔、お世話になったなつかしい方々が名前を連ねていらっしゃる、"I am proud of you!"と叫びたくなるような本を思い出す。

つーか、このうちの何人かは今回の会議の主催に近い立場なのかな?

編者の大久保先生曰く。

国家だけでなく、実生活に生きる人間にとって何が必要かという視点からの「人間の安全保障」を概念上、明確かつ意図的に打ち出したのは国連開発計画(UNDP)であった。

考えてみると、国家と個人とのバランスにおいて死刑というのは、大きく国家側に傾いた制度であるとは言える。あるいは、国家間あるいは国家内での命を守るために、軍事的な介入を行わざるを得ないという状態を考えてみても、安全保障のための人の命を国家がいかに「使用」するかという問題に直面せざるを得ない。

この人間の安全保障という言葉が頻繁に使われるようになった背景として、特に冷戦後多発する内戦をはじめとした地域紛争の際においては国家が国民の安全を確保する機能を失うという状況がまれではなく、そのような状況の下で国際社会がどのように紛争当事国の国民の安全保障を確保するべきかという課題に迫られているということが挙げられる。

人間の安全保障 - Wikipedia

日本のように軍事介入という手段が基本的に禁じられている国家がとれる手段で安全保障に貢献できる方法を見出すことの意義は人類史的に実は大きいのかもしれない。