HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

To have or to be

めずらしく体調を崩していて、それでもなにか書こうとしてみた。しかし、そういうときは考えようとしても考えられない、あるいはひどく不機嫌な思考になってしまうだけなのだということがよく分かった。

だからどうと言うことではないのだけれど、学生の頃に読んだ(はず)エーリヒ・フロムの本のタイトルが浮かんだ。

浮かんで消えない。

To Have or to Be?

To Have or to Be?

もちろん、読んだのはこっち。

生きるということ

生きるということ

フロムの本の中でも「持つ」ことには、能力も含まれていた。所有する知識や財産や地位はいうまでもなくもない。では私自身とはなになのか?ちょっと頭痛がするからといって不機嫌なことしか考えられない自分自身とはあまりに不確かなものだ。まだ、もっている携帯電話の存在の方が信頼できるかもしれない。

「私自身」(To Be)とはなんなのか?

私が私だと思っているものからひとつひとつはぎとっていくとしよう。そう、例えばしごと、例えば社会的地位、例えば資産、例えば...家族、例えば記憶、例えば名前。どこまではぎ取っていったら私は私では無くなるだろうか?

ああ、残るものは命だ。途方もない過去からつないできた、途方もない未来へつながるかもしれない命だ。