要は権力を握っていてものごとの優先順位を決められる方々と、重たい現実を背負わされている連中とで、価値の持ち方が全然変わってしまっているのに、えらい方々はそれを認めようとすらしない。「いや、しようとしてるよ、こんなに君達に歩み寄っているじゃないか」、と言うのだろうけど、労働者とさえ呼んでもらえない、逆に呼ばれたくないと思っている連中と対話すら存在しない。
なんか来年はすごいことになりそうだなという予感がながれる冷たい雨の年末にも何が幸せなのかを示さない、少なくとも最低これくらいはと示せない、自分自身を含めたすべての意思決定者側に歯ぎしりする。
ぶれてしまった軸とは何か?少なくとも資本家対労働者軸は希薄だ。驚くほど多くの人が株やら、金融資産とやらをもっている。年寄り対若いの軸は有望で、圧倒的非対称なのだがいかんせん親子、相続という倫理道徳と利害でしばられて無力感が漂う。お役人対民間も民間で食べている連中が半分を割るかもしれない労働市場をみると親戚になっとけ、お友達になっとけ、派遣でいくならもう商社じゃなくて独立行政法人だろう、と。
では、東京対田舎はどうか?思案しているのだがどうもわからない。そもそも政策的に作り出された幻想だったのではないか?三枚目のドミノが倒れる予感のあるいま思っている。
唯一顕著な軸はお金の生産者と被支配者かな?「モモ」は実にリアルだ。エンデは最期まで視線をそらさなかった。村上春樹は日和った。そうそう、「モモ」の「ガイドのグイド」と村上春樹がちょうど重なる。
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モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)
- 作者: ミヒャエル・エンデ,Michael Ende,大島かおり
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1976/09/24
- メディア: 単行本
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いや、初めて宮台氏に共鳴した。
山本七平は、空気は現前性によって生まれ、現前性によって変わると言います。現前性とは感情を刺激する生々しさです。北朝鮮の拉致家族帰国問題で、当初は「救う会」を熱狂的に支持した“ネット右翼”が、掌を返したようにバッシング側に回ったのが、典型でしょう。
出でよ、新しき知識人 「KY」が突きつける日本的課題 - MIYADAI.com Blog
ももちさんの言う「中景の崩壊」なんだろうな。
劇作家の別役実氏は 皮膚感覚でお互いに感じ取れる距離については「近景」
店主戯言050502 桃知利男の 建設業と IT化について考える日々
家族や地域社会といった共同体的な対人距離で構成される「中景」
神秘的なものや占いを信じるような態度は「遠景」につながり
そしていまや 近景と遠景を媒介するはずの「中景」が抜けてしまって
近景と遠景がネットワークを通じていきなり接続される と言います
↑↑の私の戯言も「二元論」かな?「新しき知識人」への道は遠いな。
なんか懐かしい。id:morutanさんありがとうございます。
根っこがなにか、どこにあるのかという問題は大きな問題だ。私はいかに「空気」を克服するかが本書の最大のテーマだと想うのだが、その答えがここにあると信じる。山本は、本書の最後の章でファンダメンタリストの言説としてミュンツァーの長文を引用しているが、この意味は大きい。ミュンツァーは、聖書からの引用だらけの文章を書きながら、実にルターを現実的な立場にたって批判しているのだと私は理解した。「キリスト教の根本主義という進行と現実的な運動」と比較しながら、第二次世界大戦前の山本自身の体験に基づく「現人神と進化論」が並び立つ日本人の心性について触れている。米国人には、サルから現人神が生まれたのだと論理的に帰結するこの2つの信念が両立することが理解できなかったのだという。示唆するところが大きい。
[書評]「空気の研究」 Japan as Network-One: HPO:個人的な意見 ココログ版
ちなみにぶくまコメントはまじ。
KYとは「危険予知活動」のこと。「空気読めない」では基本的にあってはならない。人命にかかわる。
■追記
やっぱり、モモだね。
日本でうまくいっていない部分を見ると、よくこういった構造が透けて見えます。
2007-05-22 - 赤の女王とお茶を
楽しみにしてますよ。
いいね。あとで書く。
マ儿コの日記 - + - +
いや、もう書かれたのでしょうか?
■追記 その2
あまりに新鮮な観点。
だから、「時間どろぼう」からモモが時間を取り戻したとすれば、それは言うなれば生産性を向上させて経済生活にゆとりをもたらした生産管理コンサルタントのようなもので、モモは立派な経営学者であります。
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