HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「ゲシュタルト」

思い出せないでイライラする単語って結構あって、長い時は数年くらい悩んでたりする。1か月くらいかかって最近ようやく思い出したのが「ゲシュタルト」。

ゲシュタルト心理学の最も基本的な考え方は、知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元出来ない全体的な枠組みによって大きく規定される、というものである。ここで、全体的な枠組みにあたるものはゲシュタルト(形態)と呼ばれる。

例えば絵を見てそれが線や点の集合ではなく「りんご」であるように見える事や、映画を見て複数のコマが映写されているのではなく動きがあるように見える事は、このようなゲシュタルトの働きの重要性を考えさせられる例である。

ゲシュタルト心理学 - Wikipedia

そうそう、多分宇多田ヒカルの「私を月まで連れてって」が変な風に聞こえだしてから、認知側の思い込みの持続性みたいのをなんていうのかなぁと思い始めたのだった。ああ、8月からだから3ヶ月近くもこんなこと考えてたのか、私は。

ちなみに、ゲシュタルトが実感できるSFを数点。

人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317)

人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317)

↑にはいっている「Run with the Wold」。いずれも表紙絵がとてもすばらしかったのに、載ってないのが残念。

そうそう、スタージョンのはこれこれ、これでなきゃ。

逆にゲシュタルト崩壊みたいな意味では、これかな?

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

うーん、たしかこれじゃなくて新しい世代の子どもたちがすべてを究極まで分解していくという秀作なSFをどこかで読んだ気がするんだけどなぁ。

私はちなみに立体視とか錯視とか一時やっていたので、認識を意識的に変更させることばっか一時やっていた。崩壊させたり逆回りさせたりとか...Danさんがおっしゃるように右脳、左脳とか関係ないですよね。