HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ものごとがかわる時

なんつうか私の頭の中見たいなもので、内部の変数だけだとあっというまに恒常状態になってしまうのだろう。ざらざらと石をバケツの中に入れてゆすれば、空間は埋められ、石は動かせなくなる。外部からの信号が来なかったら、あっというまに脳は動きを止めてしまうのではないだろうか?そもそも、ごく原始的な神経組織しかもたないイカや昆虫であっても、神経は動き、変化に対応するようにできている。ハエの目は動きしか検知できない。人の目ですら常に振動することで、静止像を認識している。

http://techon.nikkeibp.co.jp/award/papers/2004_univ01_03.pdf

うーん、なんかなつかしげな話が爆裂している。こういう工学系のアプローチをしていれば、これでご飯食べて行けたかもしれない。残念だ。

んで、考えたいのは人の社会とは脳や神経組織と比べてどれくらい組織化されているのかということだ。人の脳はとてつもなくランダム配線のように思えてしまうのだが、いまこうして私がまがりなりにも記憶をまさぐり、つなぎ合わせ、言葉に翻訳し、PCに入力するという、とてつもなく繊細な過程をこともなくおこなえてしまう。一方、人の組織というものも現代の高度資本主義の結実に見るように、個々の人の脳のアウトプットは相当レベルを落とされているにも関わらず、全体として実に繊細に運営されている。ほとんど自然環境をすでに覆いつくしてしまったといって過言ではない。

人の脳と人の社会、あるいは人の都市。いずれもバケツの中の石といっしょであっというまに外部からの刺激がなければ恒常化してしまい、熱的死を迎えてしまうそうに私には思える。内部的な状態の変化のみでそれぞれの組織体は活性な状態であり続けるのだろうか?

ああ、つまりはこの辺の結論に陥るのだろうか?

http://www.lifestudies.org/jp/mutsu09.htm

そうそう感覚遮断実験なんてあったな。

http://www.geocities.jp/survivor0014/kou/syadan.html

私のアナロジーや、↑のホームページ以上のことは知らないが森岡正博氏の不安が正しいのなら、都市機能、社会機能もまもなく感覚遮断実験もたらす幻覚のような状態に陥るのではないだろうか?

ああ、それが「感じない男 (ちくま新書)」なのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20050409/1175002848