HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本人ってかわらねぇな。

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

なんかこれ読んでいると戦国時代から日本人の底流にあるものって変わらないのだと悟る。

アオミチ、アカミチに限らず、土着の倫理も意思決定も公共財の管理の方式もあったのに、無理に欧米式の方法をついだことがあまりにもみえみえなのがいまの時代なのだろう。

具体的に書きたいが、最近あまりに時間がないので、とりあえずこの辺で...


■追記

なんつうか中世日本において飢饉とか食の生産方法の特質によるのか個人よりも村が意思決定の主体であったと理解すべきなのだろう。そこから存立をかけた村と村との争いが理解でき、両国の権力を存在せしめる戦力の意義と効能が理解できる。

この観点から近代民主主義導入以前の日本における村主体主義とでもいうべき政治システムがすでに存在していたと類推したくなる。同時に現代の地域、地域に根ざした会社と現代日本の民主主義政治、全国国展開している会社との対立項を見ることができる。

食品会社が地域指向で、個性的経営者が多いというのも非常に長い歴史的背景があるわけだ。

この辺をカオスとコスモス、非合理と合理、辺境と中央とかフラクタル的に考えても良いのかもしれない。その狭間と攻めぎあいにこそ多様性があるわけだ。