HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

統治の正統性

帝国憲法の改正としての日本国憲法

ばんせいいっけい(「万世一系」)の天皇家




家の相続に長子であるとか、親の面倒を見たとか、理由が必要だ。国の統治にも理由が必要なのだ。この当たり前のことにブログを始めるまで気づいていたなかった。日本の統治機構が江戸幕府から明治政府に転換するためには「万世一系」という正統性が必要であった。実際にはいくつかの藩閥が意思決定する政府であったとしてもだ。その統治の理念が先にかかげられたことにより、少なくとも対象までには民主主義、政党政治の礎が今思うよりも堅固に築かれた。

第二次大戦後のGHQ支配下の日本においてすら、日本国憲法という国の正統性の証には、帝国憲法の改正が必要であった。帝国憲法は決して消滅してはいない。日本国憲法に統治の正統性を与える帝国憲法は万世一系の正統性によって担保されている。どれをも否定することはできない。このことをいまの人はなかなか自覚していない。あ、私を含めてだが。