Pixel 3aを使い始めてはや二週間。Androidユーザーには当たり前かもしれないが、個人と仕事用プロフィールがかなり使い分けられていて驚いた。iPhoneにはないポリシーの徹底ぶり。場合によっては、それぞれのアプリが個人と仕事用で二重にインストが必要となる。仕事用は、所属組織のセキュリティポリシーにしばられる。写真ですら、しっかり個人と組織アカウントで別なので、個人のカメラアプリで撮った写真がそのままでは組織アドレスでは送れない、見れない。アプリ画面も二つに別れている。仕事用アプリ一覧ページの一番下には一気に仕事用アプリを一時停止できる。公私混同防止が徹底されている。Gmailだけは、私は両方のメール後アドレス使えるように設定してあるのがセキュリティホールだろうか。
Jazz SInger
デビューされて半世紀という女性ジャズシンガーの方のライブに行った。写真等は禁止ということなので、敢えてお名前も出さない。「ジャズは、本当のジャズというのは、五十、六十になってからなんだよ」と若い頃指導してもらった先輩に言われてたとおっしゃっていた。そして、その年になってまだ日々学んでいらっしゃるとおっしゃっていた。ジャズは、どこかに悲哀が含まれているように思う。愛を歌うにも、愛の苦しみ。ましてや、別れても恋い焦がれているという内容が多い。インストの曲ですらどこかに人の悲しみがあるように思えてならない。それとも、私の感興は彼女のシンガーとしての力に魅了されただけか?
自分のために曲リスト。
Day by day (Song) 和訳 | ジャスシンガーYANNIE's Blog
Come Rain Or Come Shine | Groovy Groovy ~and all that jazz~
Please Send Me Someone To Love / Better Days | Blues Power
Nina Simone – Feeling Good Lyrics | Genius Lyrics
演奏中にスマフォで歌詞を見たりするのは、本当に失礼な行為だと思うのだが、なかなか改まらない。
Pixel 3aの連絡帳の不思議
おかげさまで無事ほとんどノーコスト、ノー手間でiPhoneからPixelへの移行を終えた。物理的には、テスト用のSIMと本使用のSIMを入れ替えただけ。これで、Pixelが親機となり、iPhoneが予備となった。
ちょっと手こずったがなんとかなったのがApple Payまわり。いくつかの衝撃の事実が判明した。ソースはあえてリンクしない。
- モバイルSuicaはiPhoneからAndroid端末へは移行できない。たぶん、Suica出た直後くらいに取得したアカウントを解約した。残金は、銀行払い戻し。
- AmexのQUICPay対応がAndroidではつい先日終了していた。コンビニ払いとか私が少額の決済に天下のAmexを使いすぎたせいだろうか?ごめんなさい。
- AMexの代わりに使おうと思ったJCBのQUIC Payの迷路からはぬけだせなかった。おサイフケータイからJCBのページに行って、手続きすると何日かまてとか、待ってIDいれても「マイサービス」に降りてこない。結局、Google Payを入れたら、SuicaからQUICPayから登録済クレジットカードまで一発だった。おサイフケータイを信じた自分が愚かだった。
順調でなかったのが、連絡帳の同期。アカウントが個人用と会社のポリシー込の仕事用で使い分けられるのだが、iPhoneで普通に使っていたiCloudの個人用のアドレスが個人の方に降りてこないわ、法人用のエイトのプレミアムの同期サービスで便利していた機能が動かないわで散々。仕方がないので、Macを使ってエイトと同期していたアドレスをvCard形式でダウンロードして、仕事用のアカウントの「連絡先」にインポートした。残念ながらこのブログを書いている時点で端末側では同期を確認できていない。
にしても、繰り返すが端末と端末の間でデータ転送いっさいなしで、使っていてもこれだけ違和感ないというのは、本当にAppleの危機だと思うのだが。
ちなみに、カメラを起動すると「レンズ」も使えるし、手軽なARも使えた。自分の机の上にハリウッド版のピカチュウが座ってて、話す動画が取れた。すごい!
Pixel 3aでの日本語入力
個性というわがまま
先日、ある尊敬もうしあげる方の講演会に参加した。間近でお話を聞けた貴重な機会だった。その方は、身体中に病いを持ち、何度も手術をされていた。そんな身体であっても、若い人達に未来への希望を伝えたくて講演を開催されたのだと私は思った。
しかし、聞いていた若い人たちからの質問に失望した。ふざけた質問がひとつと、もうひとつは「自分の個性を生かして、これからの仕事に臨むにはどうしたらよいですか?」という質問だった。講演者は、「個性という問題ではない。とにかくひとつのことに徹底して取り組むべきだ」とお答えになったと記憶する。確か、「一万時間はひとつのことをやれ」とおっしゃったようにも思うのだが、記憶が定かでない。
自分も坐禅の会に通っていたころに、師匠に「自分の個性を生かして」と質問をした記憶がある。徹底してものごとに取り組もうとしても、なかなか成果につながらない、とてもとても全機現なんて無理!とさけびだしそうだった。いま、ふりかえってみると「個性」という言葉は、「私を認めて!私を褒めて!」という程度のレベルの低い「逃げ」でしかなかったとわかる。
ひとのふりして我が身をとよく言うが、この講演会に参加して改めて自分がいかに不肖の弟子であったかわかった。