HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

人類の歴史は虐殺の歴史

長い長い時間がかかって「銃、病原菌、鉄」をようやく読み終えた。前回のエントリーが9月28日、その前が8月30日。2ヶ月はゆうにかかってしまった。

文章は読みやすく、内容はわかりやすく書いてある。ではなぜ読み進めなかったか?言い訳にすぎないが、あえて言えば、本書の語る歴史は虐殺の歴史だからだ。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

タイトルそのものが表すように、複数の民族が出会ったときに、「銃、病原菌、鉄」で武装していた方が勝つ。本書の表紙にも用いられたスペインのピサロインカ帝国のアタワルパの悲劇的な出会いとそれに続く大虐殺がそうだ。

ポリネシアの島々でも、中国と東南アジアでも、アフリカでも、一方の民族の進出は他方の民族の滅亡を意味する。狩猟採集民は農耕民族からすれば、不要に広い面積を占有していることになる。また、動物と共棲しているために病原菌の脅威にいつもさらされているため、耐久力のある者がけが生き残っている。現代の鳥ウィルスがそうだ。戦いだけでなく、ヨーロッパ人の持ち込んだ病原菌でインカ人は何十万人も死に、文化のまとまりをもった民族としては滅び去った。

アンナ・カレーニナの原則」は過酷だ。生き残るためには、食料生産も、政治的安定も、技術の開発と伝播も、すべてたけていなくてはならない。どこかに弱点があれば、ほかの民族の進出を許し、自分が滅亡しかねない。いや、多くの民族が滅亡してきたのが人類の歴史だ。滅亡した民族は多様だ。生き残ったのは、「銃、病原菌、鉄」をすべて持っている。幸福な家庭は生き残って来たからこそ似ているのだ。

言語も日々滅亡している。水村さんの論をまたない。南米でも、オーストラリアでも、アフリカでも、使う人々が滅亡してしまった言語、ほかの言語に蹂躙されて使われなくなった言語は無数に存在する。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

最後に作者は科学的な分析の対象としての人類史について考察し、カオス理論をあげている。カオス理論、べき乗則で歴史を読み解く試みはある。生成と消滅があれうからこそ、歴史的なプロセスをカオス理論、べき乗則でとらえられる。

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

歴史は「べき乗則」で動く――種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

タレブが「1001日目の七面鳥」という話しを書いていた。毎日えさを与えられ、右肩上がりで成長していく七面鳥からすれば、この繁栄は永遠に続くように感じられるに違いない。しかし、養鶏業者からすれば千日後には必ず屠殺して出荷することは最初から決まっている。カオス理論、べき乗則の場合は、このカタストロフがいつおこるかはわからないという立場ではある。いずれにせよ、生成と滅亡があるからダイナミックな多様性が生まれ、パターンが生じるというのがこれらの考え方の立場であろう。

とはいえ、同胞の虐殺は読んでいてつらかった。そして、また、日本民族自体がいつ虐殺の対象にあうか可能性は高い。本書の中では日本はほとんど出てこないが、文化の違う民族の出会いも食料生産が安定していたためか、大きな虐殺にはつながらなかったからだろうか。これまで虐殺がなかったからといって、「10001日目」がないという保証を意味しない。