HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

公と互酬

網野善彦さんと阿部謹也さんの対話がだいたい終盤に来た。id:morutanさんに本書を教えていただいてから、何ヶ月たったことか。

中世の再発見―対談 (平凡社ライブラリー (66))

中世の再発見―対談 (平凡社ライブラリー (66))

本書のクライマックスは「公」をめぐる8章であろう。阿部氏のこの辺の発言が大切かと。

ですから、相互の授受というか、互酬の関係は、日本でもいまだに人と人を結ぶ普遍的で日常的な関係で、どこの世界にもあるんだけれども、ヨーロッパがなぜ十一世紀以降大きな変化を示したかというと、互酬の関係のなかで、お返しは天国でする、つまり死後の救済というかたちでそれをいったん普遍化したうえで返すという回路をつくったところに、非常に大きな変化が生まれた原因があるんじゃないかと思うんです。

「互酬」という、贈与を受けたら、そのお返しをしなければならないというのは、少なくとも私のまわりでは根強い。お葬式の香典であれ、日常のやりとりであれ、お互いの贈与関係が人の関係の強さを表しているのは感じざるを得ない。また、どれくらいの贈り物や香典が適切であるかを判断するのは、その世帯や組織の主の仕事であるという考えも、田舎であるせいか、まだ強く残っている。

私は互酬の起源、生得性は親子関係になると思う。ほ乳類という乳を子に与えるというところからだと言いたい。

「互酬」がどれだけ普遍的であるかは、あまりに分野が違うが、現代の米国で活躍しているシュガーマンの実践からもわかる。広告に「お電話いただく1ペニーをつけておきます」、というマーケティングのやり方はかなり強力なのだそうだ。

全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術

全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術

シュガーマンのマーケティング30の法則  お客がモノを買ってしまう心理的トリガーとは

シュガーマンのマーケティング30の法則 お客がモノを買ってしまう心理的トリガーとは


本書で、どうしてもわからなかったのが、網野さんの「無縁」という考え方。

主従の関係を切られた無縁の者は、公界という体制外の世界に放り出され、往来(道路)をさまよう芸人、商人などのように義務も無ければ、権利もない身分になってしまうのであろう。

網野善彦著「無縁・公界・楽」-日本人の厳しさを作り出した社会変化 | 元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ - 楽天ブログ

これがwikipediaによると網野さんの主要業績であると。

中世の職人や芸能民など、農民以外の非定住の人々である漂泊民の世界を明らかにし、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけ、日本中世史研究に大きな影響を与えた。

網野善彦 - Wikipedia

私にとって「無縁」という言葉は、そのまま墓地の入り口に祀られた「無縁仏」につながる。昔、子どものころ、祖母から墓地に行ったら、必ず無縁仏にお線香をあげるように言われた。

しかし、無縁という考え方は、民衆の側に本来あった公を表現している概念だと思うのですよ。

定住民であった私の先祖にとって、「無縁仏」になった人々への贈与は、無償の贈与であったと想像する。この無償の贈与が西欧の教会を通じた贈与と同じ構造なのかは、私にはわからない。ただ、互酬性の絆の外へなにかを施すことが示すものは、「公」につながるものであり、境を示すものであったように、祖母の教えを私はとらえている。


ああ、そういえば「無縁坂」なんて歌もあった。

このさだまさしの歌詞は、生活の中で「無縁」との境を越えてしまうか、しないでこちらにとどまっていれるかという瀬戸際を歌っていたということか。