HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

相続税徴収の社会学的根拠

世の人は権利、権利という。それは生得のものだと考えられている。生得の権利であるなら、親の財産を相続する権利も生得のもである。王位継承権をめぐってこれまで多くの血が流されてきたことを考えれば、この生得な権利も自由、平等、選挙権などと併せて自明である。行使するのに税金がかかる権利は本来ない。しかるになぜ相続の権利を行使するには相続税を払わなければならないか?それはい相続する財産が未来に渡って価値を持つためには相続人、被相続人が参加する社会構造体が前提であるからだ。ファイナンスでいうところの相続する財産の現在価値から社会を維持するのに必要なコストを未来価値として割り引いた正味の価値と、現在の評価値との差が相続税であるべきではないだろうか?

消費税から、生存に必要な額を控除する限界控除付き消費税も同様に求められると考える。加藤寛先生のご意見を伺ってみたいものだ。

忘れてしまいそうなのでとりあえずば携帯からアップしておく。


■贈与

今日たまたま読んでいた「中世の再発見」にこんなくだりがあった。

網野 たとえば、親が子供に物を譲るのはあたりまえだということですましておくのではなくて、贈与慣行のなかでもう一度考え直す作業をしてみる価値は十分にあるんじゃないかと思います。

中世においていかに贈与が貨幣経済へ繋がって行ったかを論じた一節だ。素朴な私の感覚から言えば、逆ではないだろうか。親から子へ物を与える行為は、自然に一般に行われている。そもそも親が乳を与えて子を育てるというのが、哺乳類の定義だ。親から子への贈与、そして恩返しという習慣が先にあって、中世の贈与になっていくのではないだろうか。

中世の再発見―対談 (平凡社ライブラリー (66))

中世の再発見―対談 (平凡社ライブラリー (66))

つまりは、子への思いと親孝行が商行為の原型であると言いたい。