HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

フィンガレットの魔法

以前、「徳の起源」から論じられる進化心理学の知見と、安冨先生の「貨幣の複雑性」をからめて論じようとしたことがあった。

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しかし、このエントリーよりはるかに早く、安冨先生は「無縁・呪縛・貨幣」(「貨幣の地域史」収録)の中でこの問題を論じておられた。

貨幣の地域史―中世から近世へ

貨幣の地域史―中世から近世へ

道徳とは、まさに「魔法」であると。互酬の形を取りながら、相手に贈り物をすることによって、相手の行動に呪縛をかけることであると。「徳」であっても、自分の行動により相手の行動をコントロールするメカニズムがここには含まれている。フィンガレットは、孔子の研究から「徳」という「魔法」を発見したという。

孔子―聖としての世俗者 (平凡社ライブラリー)

孔子―聖としての世俗者 (平凡社ライブラリー)

ここで、相手を束縛するためだけのために「徳」の力を使うのかという矛盾が生じる。本来、徳とはお互いの「道心」(共感するこころ、正しいか正しくないかの判断するこころ)に呼びかける「力」だ。諸刃の剣であり、相手に行動を強いるためには、自分自身が日常から高い行動規範をもっていることが前提となる。しかし、安冨先生のおっしゃる相手の言葉に耳を傾け、相手について学習するふりをしながら、相手を利用しようとするハラスメントという観点に立てば、本物の徳とにせものの徳の区別がつかなくなってしまう。

さらに安冨先生は、お金よ使い方によって「徳」の代わりになるとも。地獄の沙汰も金次第かと。

それでも、と私は想ってはいる。本論文の主題である網野歴史学の有縁の世界と縁切りについては別に論じる。まさにスケールフリーネットワークの「繋ぎ直し」の行為が、縁切り/縁結びであると感じた。


◾️追記

お金の価値の普遍性という話し。少し違うが。

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