考えてみれば、網野善彦さんと阿部謹也さんの対話で、中世以降の特質だとしている事柄は、私の身の回りにいくらでもある。田舎に住んでいるからだろうか。ひとつも違和感がない。
- 作者: 網野善彦,阿部謹也
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1994/08
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たとえば、今日は建前に行った。
昔風の建前で、五色を立てて、お餅や、お金をまいた。
建前で、大事なお金や、生活の基本であるお米を使ったお餅をまいた。これは、「中世の再発見」の中に出てくる「有徳」の話しそのものだ。有徳とは、基本的には、資産家を言うのだそうだ。ただし、資産家は資産家でも現在の貯め込み、投資するタイプの資産家は、資産家とは言われない。蕩尽し、人に資産を贈与する「だんな」でなければならない。
また、そもそも建前でお金をまくのも、「貨幣の呪術性」につながるのではないだろうか?お金を使う、お金を蕩尽することが、魔よけになるという呪術性は、いまも生きているように思える。
建前に老いも、幼きも、男も、女も集まってきた。あの場の上気した雰囲気は、日常の効率主義(メリトクラシー)だの、現代の資本主義とは、次元をことにしていたように思える。
当然、建前の後の直会(おなおら)で飲み食いを共にすることによる「アジール」(聖別された場所)も、出現する。
*1:春の安全週間だし、酒はやめているので、コップの中は当然ノンアルコールビール。最近のは実においしい。