思い起こせば「日出ずる処の天子」、近くは「幼女戦記」。ありあまるほどの異能を持ちながら、その力を自分のために使わずに人のために使う物語のパターン。
日出処の天子 全7巻完結(文庫版)(白泉社文庫) [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 山岸涼子
- 出版社/メーカー: 白泉社
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ついついのめり込んでしまう。「日出ずる処の天子」は高校時代大好きで、大学受験の小論文にまで書いてしまったほど。「幼女戦記」では・・・・、ネタバレになるのが書けないが自分と無関係な国の戦いに自分の死命をかける姿に打たれる。なんというか、大きな奉仕とか、滅私とかではないそうせざるを得ない自分のなかの「性(さが)」なのだ。
私の中のこの手のロールモデルの原点は、昔々に読んだ「楽しいムーミン一家」に出てくる「飛行おに」。
飛行おに(鬼)(典: Trollkarlen、芬: Taikuri)
ムーミンの登場人物 - Wikipedia
声 - 永井一郎、神山卓三(1972版45話以降)/玄田哲章/-
シルクハットをかぶった不思議な魔法使い。空飛ぶ黒豹にまたがって世界中を飛び回り、巨大な宝石「ルビーの王様」を探して月まで行った。トフスランとビフスランがモランから盗み出したルビーの王様を欲した。自身の能力は「自分の姿を変えること」と「他人ののぞみは叶えられる」。
なんとはなしに自分も昔から自分の能力とは自分のために使うのではなく、他人のために使うものだと思ってきた。たぶん、私のまわりの人達からすれば自分のすきなことばかりやっているように見えるだろうが、いまだに基本的に自分は「飛行おに」だと思い込んでいる。