HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「随想 宮本武蔵」読了

ようやく読み終わった。本当に読書のスピードが落ちている。

十兵衛の自作の歌に――「なか/\に人ざと近くなりにけりあまりに山の奥をたづねて」という一首がある。
 古来剣道の名人上手といわれる人々には皆、その人の詠んだという極意の歌というのが、いくらもあるが、私は、十兵衛のその歌と、武蔵が自分の肖像画のうえに自題した歌――「理もわけも尽して後は月明を知らぬむかしの無一物なり」が、最も意味が深いし、歌としても優れているようで好きである。

吉川英治 随筆 宮本武蔵

吉川英治は「随筆」で武蔵を論じつくしている。私にはその真底にまで降りていけないが、どこまで深く武蔵が剣の道を極めたかを自分の道から感じて書いている。吉川英治は剣の道ならぬ、ペンの道を極めていたのだろうか。

(晩年武蔵が身を寄せた熊本の細川家の藩主であった)忠利と彼とが百年の知己の如く結ばれた契機というのも、武蔵が抱いていた多年の志望がこの英君の認める所となった点にある。その志望とは彼が五十年来の剣の道から大悟して得た真理にもとづいて、その所信を治国経世の実際に、行ってみたいという念願にあったのである。
(中略)
柳生石舟斎、但馬守宗矩、将軍家光ら)それらの達人の理想するところを窺うかがってみると、一国の経策も、一剣の修行も要するに同じもので、政剣一如という高所を目がけていたものである。
 誰の語であったか、古来剣の六則としていわれてきた言葉にこういう一章がある。
――庶人是を学べば則ち家を治め、君子是を学べば則ち国を治め、天子是を学び給へば即ち天下を治め給ふ。庶民より王侯君子にいたる総て其の道たるや一

なにごともにも道があり、その道を極めればひとつだと。