以前、娘の学校の文化祭に行ったことがある。ま、実は動画もあるのだがアップするのはさすがに控える。娘のクラスの出し物がなかなか秀逸だった。内容はミュージカルとダンスパフォーマンスが合体した感じだった。ストーリーとしては、クラスの中で、ダンスの趣味が違うグループが3つあって、文化祭で発表するのにどういうテーマでやるかが決まらないと。舞台の上で、3つのグループがそれぞれのスタイルのダンスを披露する。対抗しあって、ほとんど喧嘩になりそうになる。着ている洋服やしゃべり方の違いは、演出で強調されているのでまだ少しは違いが分ったのだが、そもそもそれらのグループの音楽の趣味の違いが理解できない。おじさんになったものだ。なぜか最後はいきものがかりの「ジョイフル」ならいいだろうということで、クラス内の3つのグループがひとつになって踊ったフィナーレとなった。
あるいは、ディズニーシーで私が大好きな「ミスティックリズム」。異なる肌の色、異なるリズム、異なる踊り方で、最初は対立的に踊る二つの部族が、道具を交換し合い、踊りが混ざり合い、水と火と土の調和したひとつのダンスへと集約していく。そういえば、このパフォーマンスでも水の精霊、火の精霊、土の精霊の3つのトーテムがダンスで語られる。
ダンス、ダンス、ダンス。ダンスは、古代から確かに同じグループに所属しているという深い絆の象徴であるかもしれない。少なくとも、この2つの例は、全くマット・リドレーが説明している通りの現象である。
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マット・リドレーは、もっと踏み込んで、ダンスは同一の集団である証しであることの裏返しに、味方と敵を識別する社会的な道具であると主張する。まさしく、「友と敵」理論の次元だ。一定規模以上の集団では、集団内の利害の共有ができない。政治的に言えば、人間の集団内では自由と平等が両立し得ない。道徳的感情と表裏一体の嫉妬や、めんどうくさがりの感情が、集団かかげる理想を超えるように人間はできている。それでも、集団を形成しないと人間は生きていけないという矛盾。
この矛盾を一時的にモラトリアムし、人々を団結するにはカール・シュミットのいう「友と敵」に国民を分けることだ。シュミットの本に引用されている過去の立派な政治家たちが、口を極めて「敵」を非難する演説をしたか読んでみるよい。どのような文脈であれ、この段階で「友と敵」、「独裁との戦い」、「我々の敵」と名言するのは、明らかに穏やかでない国家運営を胸に抱いている。
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子どものダンスから始まって、なんとも不気味な地点に到達してしまった。マット・リドレーの思考の根底にある人に対する絶望を感じる。