HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

お祭り組織論

昨日までの成田祇園祭りを経て、お祭りの組織論ってしっかりあると。山車がなにがあってもゆうゆうと進んで行くように、祭りの組織はなにがあっても祭りを毎年継続できるようにできている。それぞれの役割分担が歴史と伝統に基づいて決まっている。指揮命令系統はあっても、命令で動くと言うより、自分の役割はなにかそれぞれがよく分かって動いている。ひとりふたり欠けても、山車の運行はもとより、組織がきちんと対応できる。逆に言えば、冗長性が高くて効率的な組織ではない。祭りは歴史と伝統を刻んで価値が深まる。冗長性が高いことが、逆に大切な存続要素なのだ。

大切なのは、老若男女を問わず祭りに参加すること自体が、それぞれの楽しみであり、幸せだということ。年寄りは年寄りなりに、若者は若者なりに、役割を担っている。つらい場面もあっても、その役割を担うこと自体が報酬なのだ、誇りなのだ。とにかく山車の運行によりそっていると、運行する側も、見る側もみんな笑顔だ。ああ、すごいなあとギャラリーな方々が山車を見上げてくれるときに感じる誇らしさ。なにものにも代えがたい。

収支としても、成り立っている。成田の祇園祭りの開催そのものによっても飾り付け、電気、食料品など相当な予算が成田の各業者におちる。集客が何万人という数で、しかも夜祭りがもりあがるため、滞在時間が長くほぼ確実に飲食もする。とにかく成田の参道が人でうまっているのは壮観だ。経済効果の試算は見たことはないが、数十億にはなるのではないだろうか。そして、各町内の住民の寄付と、お金の落ちるお店や企業からの寄付が存続の財源となっている。花見酒の経済だが、立派にまわっているからすごい。しかも、出す側も祭りが好きだし、誇りにしているから喜んで出してくれる。

そして、災害や、トラブルがあっても、友愛をもって立ち向かう。祭りの危機的な局面の打開の場面を経験できたことは、私にとって重要な人生の局面であった。

最高に盛り上がった。うれしい、うれしい、うれしい。私はこれをみたいためにやってきたのだ。

撮影が下手なのが恥ずかしいが、薬師堂前で踊っている若い衆が見えるだろうか?

1年前、各町内が、山車を焼失してがっかりしている幸町のみんなをはげまして、舞を踊ってくれた。その友愛にただただ涙した。

成田祇園祭り 2日目 お礼の舞 - HPO:機密日誌

友愛が祭りの危機を打開したのだ。これはこれ以上書かない。書けない。

歴史と伝統を守るだけなく革新もあった。四十年近く前だと聞いているが、年寄りが差配してきた各町内の祭典委員から、若者連を独立の組織とした。若者頭の制度はこのときにできたと聞いている。そして、四年おきの開催を毎年にした。これによって、若者たちのやりがいを増し、若者連のリーダーである若者頭がぐっとかっこよくなった。若者が成田に戻ってくる原動力になったとも聞いている。もちろん年寄りを中心とする祭典委員会は山車の維持、寄付集め、全体の運行運営に責任を持つ。トラブルがあれば、前面にでる。七年に一度の当番町になったときは、祇園祭り全体の実行委員を務める。

組織論を超えて付言すると、祭りとは街のつながり、街の際を明確にしている。成田市としていくども合併を繰り返しているが、祇園祭りは旧成田の七町内と後に成田に加わった三町内の十町内で構成されている。ここは詳しくはかかないが、実にうまくできている。

それやこれや、歴史と伝統に支配された祭りの体制を見て軽々に革新を迫れないだけの理由があるなと今年は実感した。