生保の方が来た。男子大卒しかとらないので有名な会社なのだそうだ。「日本の生保業界では伝えられていない保険の使い方があります。そこを伝えて、僕は保険業界を変えたいのです。」とおっしゃった。説明を聞いたが、さっぱりぴんとこない。
仕事の上で保険を使ったことはある。私は、フィナンシャルプランナーでもある。あるお客様にご病気のお父様からの相続の保険や、不動産、建築、ファイナンスをつかった支援のパッケージを提案し、リスクを乗り越えて具体化し、資産の継承の支援をした。お通夜に参列し、何百人も列席者が列をなしているのに、喪主席からクライアントが出て来てくださって、もう帰ろうとしていた私の手を握り「ありがとう」と言ってくださったときは感激した。その程後には保険は使って来た。
くだんの大卒男子しか取らない生保のプレゼンを受けて、もう自分は仕事にしか興味がないのだと自覚した。余生も要らない。自分を生かすためのコストの方が、自分が生み出せる価値よりも大きくなった瞬間に死んでしまってかまわない。子孫に残す資産も、事業継承に必要なもの以外は要らない。子孫にのこせるのは、せいぜい教育と家風だ。節税も、保障も、個人的な欲望も要らない。地元をふるさととするお客様に役立つこと以外は、興味もないし、必要も、欲望もない。
ことに仕えると書いて「仕事」という言うそうだ。もう私は「ことに仕える」のみだなと。リーダーとして、仲間、同僚が成長し、会社がよりお客様の役に立てるのならなんでもしたい。もちろん、自分を励ましてやる燃料は必要だ。自分を仕事に駆り立てる自分の想いを強くする「もの」や「こと」はある。ああ、あの時自分は仕事をして一生涯を送ろうと決意にいたったストーリーがある。自分が大好きな人がいる。その人といることが仕事に向かうファイトを生み出す。それ以上はいらない。
数字で計られるお金って、欲望を加速するから人を堕落させる。もうしわけないが、生保はその典型。もちろん、仕事の自由度を大きくするという意味ではお金は不可欠。必要なら調達に奔走するだろう。お客様がそれで幸せだというのなら、喜んで節税でも、保障でも提案しよう。しかし、仕事ありきだ、お客様の幸せありきだ。