黄文雄さんの本を読み終えた。この中で、これら3つの島が面積は同程度なのに、全く違う運命を辿っているのは、誰が支配者であったかの差であると論じられている。
- 作者: 黄文雄
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面積(平方キロ) | 人口(千人) | 大陸との距離(キロ) | |
海南島 | 33,210 | 8,671 | 約20 |
台湾島 | 35,980 | 23,236 | 約150 |
九州 | 36,749 | 13,130 | 約180 |
現代の不動産ブームに沸く中国の状況だとそんなに海南島も捨てたものではないなと。それでも、条件的に近いこれら3つの島の命運を分けたのは、政治であるというのは首肯できる。
余談から始めよう。黄さんの説に従えば、地政学的、文明史的に日本と中国の近代史における流れを理解すべきだという。19世紀までの中国を陸のパワーと規定し、植民地経営に走った17世紀以降の欧州を海のパワーと考え、両者のぶつかり合いが清の末期の状況であったと。そして、明治維新以来の日本は、海のパワーとしてアジアを席巻し、各国の独立を助けた。
陸と海のパワーといえば、当然陸軍と海軍を意味する。私は大日本帝国陸軍をあまり評価してこなかった。しかし、インドネシアで旧日本兵が独立を助けたという話しから、北支那の根本元中将や、山西省の城野宏先生の体験など、改めて調べてみて、軍政として善政を引いていた地域がたくさんあったことを知った。
陸のパワーがなければ、最終的にはその国の方向を変えることはできない。これは、現代の米国の戦後の占領政策まで含めて普遍的な真実だ。しかし、戦後の西ドイツでも、イラクでも、フィリピンでも米国、米陸軍の軍政が失敗している。旧帝国陸軍のよき伝統とは対照的だ。
このエントリーを書いてから、すでに8年がすぎているのに米軍はまだイラクから撤退出来ていない。目先で数兆円の「ビジネスとしての戦争」、「ビジネスとしての軍政」を引いても、被占領国民への愛と尊敬を持った軍政でないと、大きく利益を損ねる。いや、たぶんいくつか調べた限り、自国の利害が絡んでいたとしても、従前の占領国を追い出して、その国の独立を助けた国は日本以外にない。
中国の革命ですら、日本がなければ成功しなかった。
「宋家の三姉妹」を見てから、孫文と日本の関係が深いのは知っていた。北一輝が「支那革命外史」を書くほどに辛亥革命前後に大陸の革命とかかわっていたのは知っていた。しかし、ほとんどインドネシア独立なみに、いやそれ以上に日本の勢力がかかわっていたのは知らなかった。
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孫文の革命運動は、同志や華僑よりも、我が国の有力者に依存していた。ことに資金、武器調達、さらに身の安全の保護の面に於いては、多くの我が国有力者の協力を得ていたのである。
(略)
明治四十(1907・2567)年一月、孫文は演説で「革命の目的は『滅満興漢』(満州民族王朝清からの漢民族の独立)である。日本がもし支那革命を支援してくれると云うのなら、成功の暁には満蒙(満州とモンゴル)を謝礼として日本に譲っても良い」と述べている。
(略)
håv½
臨時大総統孫文は、犬養毅を政治顧問に、寺尾亨と副島義一を法律顧問、阪谷芳郎と原口要を財政顧問として招聘した。また孫文の秘書には池亨吉を、黄興の秘書には萱野長知を、宋教仁の秘書には北一輝を参画させ、日本軍人を南京などの陸軍学堂の教官に招聘した。
その時代、その時代の思想に基づいて、その時、その時の国の意思決定を理解すべきだとはその通りだと思う。
歴史は真剣に学ぶ価値がある。