HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「日本の歴史をよみなおす」と陸の農本主義と水路の商業主義が見えてくる

網野先生の「日本の歴史をよみなおす」の正と続が一緒になったので、改めて買い直し、読み直した。で、私の中で「日本の歴史をよみなおす」と「江戸はこうして作られた」がつながった。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)

江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)

両著をつないでみると、日本の歴史を陸路からではなく、海路、水路から見るとまるで違った景色が見える。たとえば、西園寺家

 このように見てきますと、宇治川からはじまって淀川、瀬戸内海を通って北九州、さらに肥前松浦郡五島列島までを、西園寺家は自らの所領として、河川、海上の交通を押さえていることになります。

西園寺家の所領 : 鶴見寺尾図逍遥

要は西園寺家は、戦国時代よりはるかに前に西日本の海運を支配していたということだ。農本主義的・地政学的に「藩」で小分けにしてしまっていては、でてこないパワーだ。当然生産よりも交易することによって利益を得ていた人々がいたことが前提になる。

東日本では、江戸時代の以前に西園寺家と同じように鎌倉の円覚寺が水上交通の要所要所をおさえていたという。

本書によれば、円覚寺の各荘園では「和市」と呼ばれる境内の中での市の場であったという。「和市」が転じて「鷲」となり、「鷲神社」、「酉の市」へと転じた。数百年に渡り円覚寺所領であった江戸前島も同様に「市」の立つ場であった。この江戸と母の実家のあるいまはひなびてしまった運河沿いの街が方を並べていたというのに驚いた。

円覚寺荘園 - HPO:機密日誌

陸路から見える景色は、農本主義儒教的な倫理の世界だ。これに対して、水路は商業主義的で、市場倫理の世界ではないだろう?排他的で、相手を信頼しないことに基礎を置く農本主義に対して、見知らぬ他人でもなんとか信頼しあえる場をもうけようとするのが水路の世界。

信頼しあえるから「市場」がたち、取引が成立する。「和市」とは、そういう信頼しあえる「和」のある「市」という意味ではないだろうか?桃知さんが浅草の「鷲の市」にこだわった理由が見える。色街に近いところであったというのもまた格別の理解ができる。

先に出した母の実家の街も、昔は色街があり、川を利用した市が立つ場所だっと聞いた。川沿いにはぼんぼりが毎夜ともり、洒脱な雰囲気が昭和30年代まであったと伝え聞く。

この市場の倫理がどのように形成されたかを「繁栄」、「銃、病原菌、鉄」に見いだすといっては言い過ぎだろうか?

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

前者は、互いの信頼により分業が生まれ、分業のみが人の生産性を向上させてきたことを描いている。後者は、逆に信頼が失敗したときに文明同士の対決は片方のほぼ絶滅を生むという悲劇について焦点をあてている。

さらに、ジャレドの「日本人とは何者だろう?」を置くと、日本というこの諸島は昔から穏やかで、多方面から異なる文化があつまっても、文明の対立を生まずにこれた奇跡的な場所なのだと理解したくなる。だからこそ、世界最古の土器がここで生まれたし、縄文文化のレベルでも一万年以上に渡って穏やかに混血を繰り返せたのではないだろうか?ここでも、水路が果たした役割は大きい。