記憶と発想はきっと向きがちょっと違うだけで本質的に同じものなのだろう。
記憶には、エピソード記憶といわれる自分の感情やら体験やらで構成されるものと、知識的記憶という論理というか公理系の広がりというか百科事典的というかそんばしばしっとつながっていくモナドみたいのでできてる記憶とがあるように思う。
んで、たぶん試験でよい点とっていいこいいこされたりするのは、知識的記憶の性なんだろう。
でも、パーソナルヒストリーという言葉があるように人の感情を理解するにはその人のエピソード的記憶をたどってあげる力が必要だし、その人の未来をいっしょに作るためにもエピソード記憶的発想というか、ストーリーというかそんなんが必要なんだと気づいた。
これはものすごく私にとって衝撃的な「気づき」だった。
- 作者: ダニエル・ピンク,大前研一
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そうそう、それにごく一般に言って女性の記憶というのはエピソード記憶中心で、男は知識記憶が中心というのはあるかもしれない。そして、それが多くの男女の間のボタンの掛け違いにつながっていたりするのかもしれない。
○追記
あ、ここまで書いといてなんなんだけど、結局思考って抽象化すればするほど現実から離れていくんだなとかも感じる。でも、思考でない思考というか、人って結構日常では自分のことはちゃんと考えている。
私のブログを読んで私の周りの人達は「なにお前は難しいこと書いてるんだよ」と言われる。以前、お仕えした上司に「お前の仕事のやり方を見ているとすっと前に出ればよいところを、二回点半宙返りくらいして進もうとしてるよな」とか言われた。結局、私のブログなんてそんなもんだと思う。
悪趣味にもここで余談をしてしまえば、結局思考とは記憶のあり方の反対側なんだと思う。