HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

論壇ブログ、ネットワークダイナミクス、そしてライフゲーム

論壇ブログというトピックスが最近いろいろなブログで取り上げられているように感じる。基本的に、こういうのは時間がかかるのではないだろうか?テレビも出てすぐに誰もがテレビを見るようになったわけでもないし、ネットも日本では10年かかっていまの状況になった。ブログという形式が究極であるのか、新聞を誰もが読まなくなる日が来るのかはわからないが、浸透していく世代というものがあってその世代がメインにならないとドメインはうまれないのだと感じる。少し前から感じているのは、実は年代できるのではなく世代できるのがマーケティングの基本だと思う。よくいわれるマクドナルドで育った世代が上限が何歳で、メインが何才代かというのがかなり重要だと感じる。

ここで話がおわってはネットワーク研究化(笑)としての名が廃れてしまうので、ネットワークの視点から考えてみた。これは案外ユキジさんの論文でふれられていたダナミクスの問題かもしれない。ダイナミクスとは生成されたネットワークにおいて、周辺のノードがどのゆな値を持つかによって自分が次にあげる値を決めていくときに恒常状態になるかどうか、どのよな伝播をするかという問題だと私は理解している。

<図>

つまり自分につながっているノードが3つあって、2つまで赤い旗をあげていれば次の笛がなったときに自分も赤をあげようとするかどうか、というミクロな行動が全体として赤く見えるのか、まだらにみえるのか、だんだん白くなっていくのか、といったことのシュミレーションだといってもいいかもしれない。こう書いてもなかなかイメージしずらいかもしれない。なにかいい例がないかと考えたときに、ライフゲームにあたった。ライフゲームはご存知の方が多いと期待したいのだが、ひとつのセルの周囲にいくつ「ライフ」(?)が存在するかで、そのセルに「ライフ」が生成するのか、保持されるのか、死滅するのか、そのままなのかが決まるというごく短純なルールによって、「ライフ」の世代交代を観察するというごくコンピューターの初期にはやったシュミレーション(?)だ。以前やった「レイヤー」というモデルも広い意味でのライフゲームかもしれない(参照)。数学的には「セル・オートマトン」といった風情のものであろう。

ライフゲームのセルをネットワークととると正規格子とかいったものになるのだろう。これは実際の人のネットワークの近似としてははるかに遠い。一人の人は隣にいる人だけを見て意思決定するわけではない。途中を少し飛ばして答えにたどり着いてしまえば、いまのところバラバシがスケールフリーネットワークとよトポロジーをもつネットワークがwebなどを近似するといわれている。人間関係も相当程度近似できる可能性がある。こうした近時的なネットワークにといてどのような意見の形成が行われるかという解釈をユキジさんの論文にほどこすことは可能であろう。

ゆきじさんの論文によると一定条件をあたえて恒常状態にたっするうまで何千世代もの「レイヤー」(時間経過)が必要だったようだ。また、ライフゲームでも初期条件ですべてのセルを独占してしまうこともあれば、死滅してしまうものもある。あるいは、恒常的に明滅をくりかえす初期条件パターンも有る。

ネットを誰もが主要な情報源にするとか、新聞を誰も読まなくなるかというのは、こうした初期条件の与え方と有る程度の伝播力に反比例した時間の経過、世代の交代が必要だということだ。

短くいってしまえば「ローマは一日にしてならず」(ラテン後)といったところだろうか?