HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「犬と鬼」読了

これは、大変重要な示唆を含む本。

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

著者、アレックス・カー曰く、「日本の貴重な景色を高速道路や、コンクリートで覆い尽くしているのは日本にテクノロジーがないから」。曰く、「京都を別の形で北と南に分けて発展させる方法があった。京都駅でまったくぶちこわしにした」。曰く、「欧米では伝統的な建築物を見た目は変えずにテクノロジーとお金をかけて、Wi−Fiや空調を組み込むことが当たり前になっている。古い建物ほど価値が高い」。

特に、ドレスデンワルシャワでの復興を見、昔の王宮の一部であったホテルに泊まった後では説得力がある。

hpo.hatenablog.com

この八章、九章は関連スタッフ全員で輪読したいほどだ。街づくりの上でとても大切なことがかいてある。

The 100 Season 1

はまった。やばい・・・。

wwws.warnerbros.co.jp

常に命の選択をせまられるシーンが続く。生きるか死ぬか、右をとるか左をとるか、どちらをとるかとらないか。ギャラクティカ以来の緊迫シーンをドラマに感じている。

本当に中毒気味。寝不足。こんなにはまるドラマをつくってくれちゃって。本当に困る。

益城町の復興

熊本に商用できた。市内は復興の槌音高く、とは言い過ぎだが、改修工事が至るところで見られ、解体工事もだいぶ進んだように見受けられた。仕事を済ませ熊本空港に向かう途中で、益城町を通った。あえて写真は載せないが、ニュースや、建築雑誌で見た地震直後からあまり復興が進んでいないように見えた。一階が崩壊している家屋、店舗。積み上げられた残材。大変、こころが痛む。また、建築に関わるものとして、建築の品質、建築の構造耐力の重要さを改めて思い知らされた。

hpo.hatenablog.com

欧州の痛車集団

この記事を読んで、ああ、そういえばと想い、エントリーをあげる。

zasshi.news.yahoo.co.jp

以下、この前泊まったヨーロッパの某ホテルで観た光景。車の車種はわからないが、明らかに超高級車、スーパーカー。ましてやキャラとか分からないが、絵柄は明らかに痛車だろ。

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この方々もあまりお行儀はよくなくて、夜中にたぶん車に仕掛けられた警報音とパーティの果てと想われる歓声で起こされた。大変、迷惑だった。

www.thechallenge2016.nl

フランスの保守層

パリ、CDGでの乗り換え時に、ラウンジでたまたまある初老のご夫妻と会話になった。最初に"Merci!"、"Bonjour!"程度のあいさつでを交わして席に座った。恥ずかしいことにラウンジの軽食を私がこぼしてしまった。すかさず、ティッシュを奥様が差し出して下さって、"Pardon"とお応えしたところからお二人との会話が始まった。以下は英語で。

アラブの連中はますます過激になっている

「フランスには、昔から中東の人々が来ていた、住んでいた。昔は、フランスの文化になじんでて、女性は普通にスカートをはいて、かぶりものなどしなかった。最近になって、あのヒジャブをつけなければいけないとか、水着はこうでなければだめだと主張している、圧力が強まっている。そういうことは、自分たちの国があるんだから、そこでやれといいたい。文化は文化だ。多様性はいい。だが過度に自分の文化主張するなら、私たちも自分たちの文化を守らなければならない」と。

以前お邪魔した南フランスのマダムからも、テロに対するフランスの方々の憤りは伝わった。どうも、話しを聞いていると中東系の方々はフランス国内で、イスラムの人々に圧力をかけているらしい。ヒジャブを禁止するとか、ブルキニを禁止するとかは、逆にリベラルなイスラムの方々を正統性をおしつけてくる勢力から守る意味があるということをおっしゃっているように想えた。

若い連中は、フランス語もろくにはなせない。

お孫さんがいらっしゃるそうだが、孫にきちんと話そうとすると、「おじいちゃん、おばあちゃん、いまなんていったの?」と聞き返されるそうだ。なんといってもフランス語は、時制だけでも10個くらいある。ちょっと聞き取りきれなかったが、これが「現在、過去、受動態、命令法、この4つくらいしか使わないし、理解できない。あんたはフランス語を勉強しているといったが、昔と比べるとずっとフランス語はやさしくなっているよ。ラッキーだ」と。

「日本では『最期の授業』の話しが教科書に載っています。確か、中学の教科書でした。私もそのアルザス地方の話しを授業で受けて大変感銘を受けました。フランスでは言葉は文化だと、"Vive la France!"だと信じていらっしゃると信じていました。」と申し上げたら、「いまは昔の話しじゃ」とのこと。びっくり!

「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」。

最後の授業 - Wikipedia
今の若い連中は、哲学を持っていない。

ある意味一番びっくりしたのはこの話し。「今の若い連中は、哲学を持っていない」とご主人が。「確かいまでも哲学はバカロレアの必修ですよね?大学入るのに、受験科目ですよね?」と聞いたら、「いまの試験、学科の授業は専門に分かれていて十分に哲学を学ぶ教育が行われておらん。私も元々はエンジニアだが、私のころ、いまから4,50年前は、確かに技術系でも哲学が必修だった。大統領がかわるたびに教育制度は悪くなっている。」

フランスの政治家のリーダーシップはますます低下している

「アメリカの大統領選挙は今年の年末だが、フランスの大統領選挙は来年だ。そこに4人候補が立っているが、どれもこれもとるにたらん。シャルル・ド・ゴールジスカール・デスタンあたりまでは立派な著作もある、教養のある政治家だった。それ以降は全然じゃ。フランスには文化省がある。他の国にはない省じゃ。そこの大臣が先日、『最近読んだ本で印象に残った本は?』と聞かれ、『就任以来の2年間は急がして一冊も読んでいない』と答えた。ウェブだのは観ていると言っていたが、ウェブで情報を得るのときちんと本を読むのは全く違う。実になさけない。」

もう、これは説明はいらない。前の「哲学」の話しと並んで、どこの国でも「フラット化」が進み、同じような事態が進展しているように想われた。


いはやは、とにかくびっくりすることばかり。乗り換えの2時間ほどであったが、大変な教養と実績のあるご夫妻とソーシャライズできてうれしかった。フランス五間の方とソーシャラズコツとしては、経験的にフランス語が大してしゃべれなくても最初のひとことだけでもフランス語で始める努力をすることが大事かなと。フランス語圏の方はそれ以降、英語に切り替えても実に丁寧に接してくれる。あとは、言葉よりも自分自身の常識。常識があり、素直に人の話に傾けられる耳があれば、話しははずむ。

それにしても、話しをすればするほどフランスにもこういう知的な保守な方がいらっしゃるのだと実感した。

「犬と鬼」を読み始める

01年に出版された本。郵貯道路公団原発、官僚接待などなど、批判の対象となった組織は確実に変わらざるをえなくなっている。

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

犬と鬼-知られざる日本の肖像-

これは仕事の上でもとても大切な内容が含まれている。よくよく読んで咀嚼したい。

ポーランドのユダヤ人

先日、子供から「アウシュビッツもやはり人生で一度は実際に足を運ぶべき場所」と言われ、改めてアウシュビッツポーランドにあることを思い出させられた。

アウシュヴィッツ第一強制収容所はドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ[1])に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)につくられた。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 - Wikipedia


アウシュヴィッツナチスドイツ強制収容所

アウシュヴィッツナチスドイツ強制収容所 激動の歴史に翻弄されたポーランドワルシャワ歴史地区
1939年9月ナチスドイツはポーランドに侵攻し、ポーランド領内のユダヤ人、反対派の住民への弾圧を強めていました。1940年5月にはアウシュヴィッツ第一収容所が開設され、1941年には第二収容所が開設され、1945年の終戦までにのべ150万人以上もの人々が犠牲になりました。

アウシュビッツにはちょっと遠いので、せめてもと「ポーランド・ユダヤ人博物館」に行こうとした。

ポーランド・ユダヤ人歴史博物館 
Muzeum Historii Żydów Polskichとは・・・?

ワルシャワ・ゲットー蜂起」の70周年にあたる2013年4月19日に ワルシャワゲットー(ユダヤ人隔離居住区)跡地にオープンした博物館。かつてのユダヤ人街であったムラヌフ地区に建てられた。ユダヤ人の歴史だけではなく、ユダヤ文化も知ることができる。

ウェブで調べると18時まで。自由時間になったのが16時過ぎ。厳しいかなとは想いながら、タクシーに飛び乗った。このタクシーの運転手さんが饒舌な方で、到着するまでにいかにナチスアウシュビッツだけでなくて、ポーランド国内、特にワルシャワでユダヤ人をゲットーに閉じ込めて、50万人を抹殺(諸説あり)したかを語ってくれた。ところが、ところが、セキュリティチェックまで受けてチケットブースに行くと、「16時で入場は終わりだよ。例外はないよ」と言い切られてしまった。仕方なく、手に入る資料を探し、観光局のユダヤ人遺跡ガイドと本を一冊買ってきた。帰りどうしようかなと想って建物の写真を撮って、元の道を歩き始めようとすると、くだんの運転手さんが待っててくれた。これ幸いと載せてもらってホテルまで帰ってきた。その道中、なぜワルシャワにそもそもそんなにたくさんのユダヤ人がいたかを説明してくれた。

「そもそも、ワルシャワに15世紀(?)までにユダヤ人のラビ(?)が来て、居留地ができた。その後、コペルニクスが学校を作った(確認できず)のも大きかった。一時は、世界のユダヤ人の人口の4分の3までがワルシャワに住んでいた(後述)。とにかくワルシャワは、昔はニューヨーク以外では、いまはNYとイスラエル以外では、一番ユダヤ人の人口が多い。そもそも、イスラエルポーランド系ユダヤ人が提唱してできた国。イスラエルのユダヤ人の大半はもとを辿ればポーランドにいた。」

目を丸くして、「歴史の先生みたいですね」と言ったら、「本当に歴史の教師だった。資本主義になって、歴史の教師では生活できなくなってタクシーのドライバーをしている。資本主義になってから、社会は本当に平等ではなくなった。資本家ばかりが得をしている」と帰ってきた。いやはや。

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Jews in Poland

Jews in Poland

裏表紙の解説を訳してみる。

17世紀の終わりまでに、世界のユダヤ人の4分の3がポーランドの国境内に住んでいた。迫害からの避難所としてだけでなく、ユダヤ文化の中心地として栄えていた。この文化は、国としてのポーランドの衰退と分割を生き抜いた。そして、19世紀にはユダヤ人世界を変える知的な運動、シオニズム世俗主義社会主義、そして新正統主義などを生んだ。19世紀後半からの大量の移民増加に伴って、従前のポーランド共和国におけるユダヤ人の影響は、西ヨーロッパ、南北アメリカ南アフリカ、オーストラリアを周辺に広がった。

そして、この後、ユダヤ人が栄えていたポーランドナチスの標的にされ、前述のアウシュビッツに先駆けて、ワルシャワに劣悪な生活環境の「ゲットー」が創設された。

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ワルシャワ・ゲットー (Getto Warszawskie) は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがポーランドワルシャワ市内に設置したゲットー(ユダヤ人隔離地域)である。ナチスが創設したゲットーの中では最大規模のものである。

ワルシャワ・ゲットー - Wikipedia

ここでくだんのタクシー運転手さんのおっしゃっていた50万人とも、30万人とも言われるユダヤ人虐殺が行われた。ワルシャワ蜂起に先駆けて試みられたワルシャワ・ゲットー蜂起もあったが、逆に市内の最大のシナゴーグを破壊される、ゲットー内の建物をバラックにされるなど最悪の結果となった。結局、ナチスが降参し、ロシア軍に解放された時には、数十万人いたはずのゲットーに収容されたユダヤ人はほんの少ししか生き残れなかったと。これまたタクシー運転手さんに教えてもらった通り。

ちなみに、夜中に出かけた行き帰りに無名戦士の墓の晩をする兵士を見た。ポーランド内で行われた戦い、そして虐殺を想うと、重要なことだと改めて想った。

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とてもとても、ディスコに行って踊りまくって、ついでに北欧諸国の銀行の方々と友達になった帰りだったとは言えない。資本主義の権化のような立場の私には、タクシー運転手になった歴史の教師の方が、トマシュと重なって見えたとしかかけない。

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

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