HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「随筆 宮本武蔵」を読み始める

バガボンド」で宮本武蔵が禅と関係が深いと気づいた。で、無料で読めてしまう吉川英治の「随筆」を読み始めた。

過去の空には、古人の群峰がある。そのたくさんな山影の中で、宮本武蔵は、私のすきな古人のひとりである。剣という秋霜の気が、その人の全部かのように荊々しく思われて来たが、彼の仮名文字をようく見つめているとわかる。あんな優雅なにおい、やさしさ、細やかさ、虚淡な美を、剣を持つ指の先から書きながす人が、過去にも幾人とあったろうか。

吉川英治 随筆 宮本武蔵

序文の最初の通り、3分の1を読んでもまだ宮本武蔵の画や書への随想が終わらない。4年余りの新聞連載、単行本で6冊、文庫で8冊にも及ぶ小説をものした吉川英治なら当然か。吉川英治が「禅味」という言葉を使っていたが、知情意のすべてで宮本武蔵を感じ、捉え、表現した足跡が伝わる。達人は達人を知る。文章の達人がだからこそ剣の達人に肉薄できたのだろう。

つくづく50に手が届く年齢になったのに、宮本武蔵あるいは吉川英治といった達人の足もとにも及ばない、いたらない自分を自覚するばかりだ。しかも、その自分の努力の方向自体がずれていることに気づいていない自分が実に愚かだ。

それにしても、「バガボンド」の宮本武蔵と「随筆」の宮本武蔵はずいぶん違う気がする。