HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ダータ・ファブラ = ソーシャル・リバタリアリズム

時代は繰り返す。なんとはなしに。

  • あたらしいメディアは常に登場し続け、若い世代はそれに反応・適応しようとする。
  • 時代の精神、世代の差という議論はいつの時代にもある。
  • 恋愛はいつの時代にもあまりに鮮烈である。(そして時代を先取りする男は女に愛される・・・、かな?)
  • 平和で自由な時代の後にも、騒乱の時代が訪れることがある。
[書評]三四郎 only yesterday: HPO:個人的な意見 ココログ版

なにをいいたいかっていうと、これなんだけど。

ちょっと忙しいので、詳しくは帰ってきてから。

で、もちょっと詳述。id:ta26さんのおっしゃることが三四郎の中の若者たちと重なる。

『旧世代の道徳やモラル等になんら捕われることなく、ソーシャルメディア等を通じて思うがままに活動したい。新しいビジネスを立ち上げたり、新しい働き方をどんどん試していきたい。試行錯誤で世を騒がすこともあるかもしれないが、干渉しないでほおっておいて欲しい。』

ここに与次郎がぶった演説がエコーして聞こえる。

社会は激しく動きつつある。社会の産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己の運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。

「studygift(スタディギフト)」の炎上問題ついての一考 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

「ダータ・ファブラ」としきりに与次郎がシュプレヒコールする。「ダータ・ファブラ」とは「It's your own problem」の意味だと聞く。「ものごとを自分自身の問題として行動する」という意味を、「リバタリアリズム」につなげては浅薄な理解であろうか。

当時、文芸活動という新しい「ソーシャル・メディア」が若者の自由になるようになった。それに呼応した自由を訴えているように聞こえる。

中には、どうしても看過できない、日本的良識や倫理・道徳、公共心などの問題を指摘する、いわゆる『コミュニタリアン』、しかもかなりレベルの高い『コミュタリアン』からの正当なお叱りも少なくない。

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あるいは、広田先生の言葉にコミュニタリアン、あるいは「暗黙の『大人の常識』」を感じる。

近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他(ひと)を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他(ひと)本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々(ぜんぜん)自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。

世代交代は百年前にも行われた。戦後のどさくさでも行われた。常に新しいメディア、新しい思想、新しい交際関係により、新しい世代の権力は築かれてきた。よくよく歴史を学んでこの世代交代に臨みたい。新世代は孤独ではない。諸先輩が権力を掌握したプロセスには大いに学ぶべきところがある。

いずれにせよ、また新たに世代交代が大幅に行われる時代に入ったと考える。旧世代と新世代の間の戦いの中で、誰が「トライアングル」に匹敵する力を勝ち取っていくのか。非常に楽しみな時代だとも言える。


・・・、と盛りを過ぎつつあるおじさんは若い世代にアドバイスしたい。