HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「道草」読了

私、いったい、読了するまで何ヶ月かかってんだよと。読書量がおちるにもほどがある。

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「道草」は、金が足りないだの、金をくれだの、金を借りるだのの話しが終始。養子にしてまで子供を育てるのも、将来自分の面倒を見させるためだと。夏目漱石の小説としては、異色といえば異色だが、「夏目漱石の妻」を観た後では、これが漱石の時代の生活なのだと受け止める。妻とのやりとり、養父とのやりとり、親族とのやりとりなど、自伝的要素が強いのが「道草」だと。

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明治から大正にかけての時代は、一応の平和を保っていた。そう、「三四郎」のような恋愛すらも花開いた時代。自由が謳歌されたとも言える。しかし、この後、時代は大変暗い方向へ暗転する。人口の面からも、騒乱の予感という意味でも、現代はずっと夏目漱石の時代に戻っているような感覚がある。

いま私が恐れるのは「ぼんやりとした不安」を抱えながらものほほんと生活していた三四郎の後継者である我々は、またこうした騒乱の世紀を生きるのことになるではないだろうかという恐怖だ。与次郎の「ダータ・ファブラ」="de te fabula."とは、「ほかでもないあなたのこと」という意味のラテン語なのだそうだ。そう、どのような時代が来てもただ自分自身の問題としてとらえ、逃げないということ以外道はないのだ。

[書評]三四郎 only yesterday: HPO:個人的な意見 ココログ版

強いて「道草」の時代、人々の生き方と現代を比べれば、ずっと国家に依存する率が高いということかもしれない。特に年金に代表されるように、子供を育てなくても老後の面倒、病気になった場合のケアは公共に依存できる。まあ、しかし、それこそが100年前と比べて未来への最大の陰となりそうだと予感している。