HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本人であるための「要件」を憲法から考える

仕事がら、またブロガーとして、日本のひどくややこしい法律体系っていったいぜんたいどういう人間がこんなの運用できるんだろうってずいぶん前から疑問に思っていた。とにかくお目にかかるのは、スパゲッティだってここまでからまっていないだろうと思われる法律体系なのだ。こういう法律を活用できるのは、相当にお勉強がおできる方々だけだろう。そして、そういうおできになる方々だけが日本人たる資格があるのだろう、きっと。法律がわからない、勉強できない私のような者は、もう法の網の目からぬけおちてるのじゃないか?

でも、真面目に法律を守りながら、願わくば庇護を受けながら働きたいとか思っているだけどね、私は。

ちょっといじけて言えば、本来法律とは「法の下の平等」が原則だ。であれば、日本人なら誰にでも理解できるものじゃなきゃ憲法違反じゃないだろうか?一部の人にしかそれを理解し、運用できるのであれば、法の下の平等ではない。


逆に言えば、そもそも、法律を理解できるの人たちだけが日本人なのか?法律を理解できないと言う私は本人の日本人たる要件を満たしていないのか?私は日本人の最低線を満たしていなかったのか!

これはかなりショッキングなことなので、どこかに日本人になる要件を明確に書いてないか、いまからでも日本人の最低限の線を満たすべく勉強するしかないかなと、探しはじめたら、ちゃんと日本国憲法に書いてあった。

第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

そっか、法律で決まっているんだ!やっぱり、法律なんだ、法律!

...うん?

でも、そもそも法律が読めなくて困っているのに、日本人としての要件を満たすためにまた法律を勉強しなきゃいけないんだ...orz

もし私が、憲法で前提としている「要件」を満たした「日本人」であれば法律も理解できるはずだ。でも、こんなに悩んでいるということは、私には欠落要件があるからじゃなかろうかということになる。

うーん。

でも、明確に「憲法10条に基づき、日本人の要件をこれこれこのように定める」という法律はみつからなかったので、じゃ、憲法にもちょっと書いてないかなと思った。今回、そんな問題意識で日本国憲法を読んだ。

テキストとしては、私の個人的な好みで英文の憲法を使った。辞書とくびっぴきで半日かかって読み終わった今、日本語版を読んでわからなかった部分が結構理解できたような気がしている。つーか、本来米国の憲法と修正条項に基づいて日本国憲法って理解すべきなんだなとつくづく思った。

ええとね、ほんとうは、注にまわして、で本題に入りたいんだけど、日本国憲法の英文の正文ってなに?って議論があることを知った。関連リンクを置いた上で先に進むべきであろう。

ちなみに、官邸版の英文を今回のテキストとしておく。

で、どれくらい英文の憲法がわかりやすかったかいうと、憲法9条も英文で読むと前文との矛盾が感じられなかったくらいだ。

Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

わかりやすく、論理的矛盾がないから、また機械翻訳の「キサイト翻訳」が十分読めるレベルの日本語を生成してくれた。

第9条。 心から正義と注文(秩序)に基づく国際的な平和に(を)求めて、国の主権的権利と脅威か(として)国際的に決着をつける(紛争解決の)手段としての武力行使が議論するように日本人の人々はいつまでも、戦争を放棄します。
先行のパラグラフの目的を達成するために、陸(海、空軍、および他の戦力)は、決して維持されないでしょう。 状態(国家)の交戦権は認識(承認)されないでしょう。

*1

英文を読んでて気づいたのだが、前文から条文の終わりのほうのSupreme Law(最高法規)の章にいたるまで「人類の普遍的原理(universal principle of mankind)」とか「政治的倫理は普遍(laws of political morality are universal)」、「自由になるための人類の長年の闘争の果実(fruits of the age-old struggle of man to be free)」として「国民主権」と「基本的人権」、「平和主義」を位置づけている。これは、民主主義という統治の正統性を日本の国に歴史的帰結ではなく、人類全体の歴史に求めるしかなかったのだろう。立憲君主制との差がこの辺にある。民主主義、自由主義の歴史の帰結は、残念ながら日本人のものではない。それでも、あえて民主主義の歴史イコール伝統である人たちにとっては、日本国憲法は、英米法的というか、バーク保守主義的というか、強力な統治機構をあまり前提にしていないように私には思えた。あとで、触れるが民主主義と政府も国民のものであるので、所詮は利害の調整であり、結局すべては自己責任となることがひとつの帰結ではないだろうか?

では、肝心の10条を含む"Chapter III. Rights And Duties Of The People(国民の権利と義務)"を読んで、日本人に要件がどう定められているか考えてみた。

憲法において、日本人イコール国民は、すでにかなり民主主義と自由主義への理解が深いことを前提にしているというのが結論。確か米国の市民権を得るためには米国憲法の前文を暗唱できなければならないのではなかったっけ?

米国の憲法や法律を支持し、米国への忠誠、また法で要求される場合は、米国のために戦うことを誓わなければならない。

移民法 | シアトル情報サイト Junglecity.com

日本では、こうした宣誓は行われているのかどうか知らないが、いったんすべての日本国民が再度日本人である資格を「試験」されなければならないのだとしたら、結構難しい試験になるのではないだろうか。再度日本人になるための試験があるとすれば、どのような問題と能力が必要とされるか考えてみた。

  • 日本国憲法と関連の基本的な法律を読み、理解するだけの日本語力
  • 同じく日本国憲法と関連の法律に基づく選挙、納税、勤労ができるだけの日本語の読み書き、思考力、日本の慣習的な生活*2
  • 日本国憲法と関連の法律、日本の慣習に基づく結婚、家族の形成ができる力*3
  • 正統性の基礎である人類が民主主義を選択するに至った歴史と思想の理解。*4
  • 義務教育として定められる内容の理解もしくは、義務教育を受けるだけの能力。

憲法国民主権の堅持が強くうたわれているからには、米国の移民手続きのように、憲法と国への忠誠はこれらの「要件」以外に求められて当然だろう。戦争を放棄しているためにこの崇高な理想を実現する国家を維持するために自分を犠牲にして戦うことは求められなくとも、この憲法を忠実に維持し、実施していく強い意志は日本人として当然の要件だ。

やっぱり、それでも、義務教育の範囲で、すべての法律は理解、運用できるようになっていなければ憲法違反ではないだろうか?逆に言えば、義務教育とは、この憲法の理解、運用能力を持つ程度まで教育できなければならないのではないだろうか?とすると、義務教育である中学までに各教科で以下にあげる程度の能力はなくてはならないのではないだろうか?

  • 国語 : 憲法を理解するだけの読解力。憲法と関連法規に基づく納税、訴訟、選挙に必要な書類や、事由等を整理して関係者に訴えるだけの書類作成能力。
  • 歴史 : 日本に固有の社会、生活文化ができるに至った歴史的過程の理解。憲法にうたわれた人類の崇高な理想である国際平和と、国民主権の理想がいかに得られたかの歴史的な過程の理解。
  • 英語 : 英文の憲法を理解できるだけの読解力。
  • 数学・科学・社会 : 現代の高度な情報社会において勤労の義務を果たせるだけの技術の基礎、応用力や、日常的な習慣を身につける。

あと、ちょろっとさっき書いたけど、「国民主権」って前文とか、12条とか読んでいると、結局自分たちで守れって書いてあるように思える。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

こっちよりたぶん英文の方が相互努力っつうか、お互いに守ろうねという雰囲気が伝わってくる。

Article 12. The freedoms and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare.

うーん、どうもやはり歴史的背景や、憲法解釈の標準を理解できていない私は日本人としての「要件」を満たしていないのかもしれない。後ろから、紅白歌合戦の音が流れてきて「日本人として」うんぬんと言っている。どうもねぇと悩みながら年を越してしまいそうだ。

■参照

■追記

そうそう、ここんとこの転倒が日本国憲法には残ったままでいるのだと。基本的人権や、日本人の要件は憲法できめるものなんかいな?と。

著作権にしても労働基本権にしても、本質的には定型的な契約にすぎず、絶対不可侵の自然権ではない。それは法律として絶対化されれば国家によって強制されるが、本源的にはバークもいうように慣習によって形成されるものだから、実態にあっていなければ変更するのが当然だ。規制強化や権利のインフレによる官製不況を逆転させるには、まず人権という迷信から覚めることが必要だろう。

指定されたページがみつかりませんでした - goo ブログ

■Danさんですらそう思われるわけですね。

みーんな、国民としての義務を果たしてないじゃないか、と憲法は言いたいようにむしろ私は感じているのです。

404 Blog Not Found:本当は怖い日本国憲法

http://anond.hatelabo.jp/20090909215820

*1:かっこ内は私。さすがに自分で訳した方が早かったと反省。

*2:「文化的な生活」ってArticle 25の"cultured living"の訳なんだろうけど、"culture"って「その国固有の生活習慣」ではないだろうか。

*3:義務とは書いていないけど、妙に結婚についてこだわって書いてある。Article 24。史録 日本国憲法 - HPO:機密日誌
その癖、成人っていくつからとか、「成年者」(adult)ってどういう意味みたいのって書いてないんだよね。憲法で要求されている高度な能力をいくつまでに身につけるべきだったんだろう。もしかして、私、まだ成人できてない?

*4:さもなければ、選挙で適切なpublic servantを選ぶこともできないし、「平和を希求する」意味も意義も理解できず、憲法を堅持していくこともできない

*5:日本語でも、英文でも、public officialsの罷免権は国民にあるとしか読めない。これを妨げる法律があるのだとすれば法律違反だと私は信じる。労働者の権利に組合活動とか、団体交渉とかがあっても、罷免されない権利は入っていない。公務員がpublic officialでない理由があるのだとすれば教えてほしい。