先日、Yuki Saito監督の「古都」見てきた。自分にとってふるさととはどのような意味を持つのか?自分が立つべき場所はどこなのか?日本の「古都」京都と、欧州の「古都」パリを背景に、二人の母親の生き様と、二人の娘の自分の立つべき場所を模索する姿が美しい映像で繰り広げられていた。川端康成の原作のモチーフを見事に現代の日本に蘇らせていたと感じた。
実は、以前Yuki監督の話しを聞く機会があった。とても、感銘を受けた。自分に重ねてしまったといっていい。
私もそれなりに自分の街の伝統を意識して生きてきたので分かる。正直に言えば、自分の街で働く自分がイメージできず、高校から寮に入り街を出て、遠くへ遠くへ行って来た。大学は更に遠く、就職は東京、そしてついには米国まで逃げていった。いっそそのまま米国で仕事を見つけようと想った時期もあった。しかし、自分の血がそれを許さず自分の街に帰ってきた。帰っても、まだ自分の街から遠くへ、遠くへ、仕事を探していった。
Yuki Siato監督の「古都」 - HPO機密日誌
監督の話を抄録する。
小学校の頃から映画監督になると決めていました。(中略)アメリカで大好きな映画を学びたいと思うようになりました。ただ、その時はハリウッドのことばかり考えていて、「ハリウッド映画を撮りたい!」「早くここから出て世界に飛び立ちたい!」そればかり考えていました。勢いのままにアメリカへ行ったのですが、やはりそんなに簡単ではなく、正直憧れだけで行ったので色んな苦難がありました。(中略)大ヒットテレビドラマ「24」のプロデューサーをやっていたノーマン・S・パウエル氏に師事し学んでいました。(中略)
先生に呼び出され「お前、いつまでハリウッドにいるんだ?」と言われました。私はその時点で 8 年間アメリカに住んでおり、車も家もありました。(中略)「このままアメリカに残っても200%映画監督になれない」と言われました。呼び出された時、僕はてっきり先生の新しいドラマが始まるタイミングだったので、ようやくハリウッドの現場デビューが出来るのかと思っていたのですが、大間違いでした。それから先生が黒板に「Yuki Saito がハリウッドで成功できない 10 の理由」ということで書き始めました。
私もふるさとに帰ってきてからも、挫折の連続だった・・・。いや、自分と重ね過ぎてはいけない。この映画には、こうしたYuki Saito監督の生き様が表現されている。静かな、美しい映画の中にこめられた京都の有り様、そこに住む人達の思い。十分に堪能させてもらった。