HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

谷津干潟

谷津干潟公園に行った。前々から行きたいと想っていたが、なかなかいけなかった。

噂に違わず、密集した住宅地の中とは想えない、自然があった。

谷津干潟東京湾の最奥部に残された約40haの干潟です。ここには、ゴカイ・貝・カニ・魚そして水鳥などたくさんの生き物たちが生息しています。

谷津干潟自然観察センター|自然観察センターについて|谷津干潟について

素晴らしい場所だと頭で分かっていても、身体が活動を開始しなかったのは、自分が子どものころの谷津の印象があまりによくないということもあった。昔々、京葉道路を通るたび、船橋ヘルスセンター近くに行くたびに汚臭がした。どろどろとごみだかけの印象があった。もっと、前たぶんいまから40年以上前、両親に谷津に潮干狩りに連れて行かれた。どろがはねて顔についた。それが原因かは不明なのだが、そのあと顔に腫れ物のようなものができ、かつ皮膚科の先生にえらくめだつヨードチンキのようなものを塗られ、子ども心に傷ついた。

いや、それも、これも森田三郎さんのご苦労に比べたら、毛の一本ほどの重さもない想い出だ。

私は、まず一人で「谷津愛護研究会」をつくった。私は市役所の課長さんのところに行って干潟を残してほしいと頼んだが、ぜんぶ断わられた。当時私は市川市で新聞配達をしていた。そこで私は、市川市からバイクに乗って、ごみ拾いに通い始めた。まさか、自分が腰の高さまである泡状のヘドロの中に浸かってまでごみを拾うとは思っていなかった。実際に一人でごみを拾ってみると、恥ずかしかった。散歩の人や、バードウオッチングする人が通ると拾えない。人が通り過ぎると拾う。人が来るとやめる。

(中略)

谷津を埋め立てるという土地利用計画があるわけだから、私ひとりのごみ拾いには、説得力はない。そこで私は、私自身が看板になろうと考えた。私は谷津干潟の近くに引っ越してきた。新聞配達もやめた。そのとき、ごみを拾いを始めて、8年たっていた。

環境公開講座 2002.10.22 10年ゴミを拾い続けると…〜ある県議会議員の話

今日、初めて谷津干潟を見て、数十年前の記憶とのあまりの差に、森田さんのご努力のすさまじさを実感した。

日頃、仕事の上で、排水にかかわる規制に直面することがある。その時は、BODだの、CODだの、なんで数PPMのことにこだわるのかと想ってきた。ここのところ、東京湾とその周辺の水に触れることがあり、数十年前と現在を比べるとなんときれいになったかと実感する。

日本には、まだ森田さんと志をともにする方々がいるんだなと。そういう人たちこそが国の宝だ。