HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「シュマリ」

古本屋で大人買い

シュマリ (上) (角川文庫)

シュマリ (上) (角川文庫)

シュマリ (中) (角川文庫)

シュマリ (中) (角川文庫)

シュマリ (下) (角川文庫)

シュマリ (下) (角川文庫)

気がつくと、シュマリの最終巻での年齢と、いまの私の年齢は大して違わない。私自身が「きがついたら俺ももうすぐ五十だな」とつぶやいてもおかしくない年にいつの間にかなっていた。最初に読んだのは、「手塚治虫全集」の時だから、小学生だったか、中学生だったか。時間が経つのはあまりに早い。自分が年を取ったと思っていないのに、お爺さんになったと思っていたくらいのラストのシュマリの年に近づいている。

ちなみにビッグコミックに連載が始まった1974年時点で、手塚治虫は46才。73年の虫プロの倒産の痛手からようやく復活のきざしをみせたころだった。

妻であったお妙が他の男に走ったという冒頭も痛かった。シュマリにどこまでも一途で、ポンションと、シュマリの実子、弥三郎を育てたお峯がすばらしい。女が男に惚れ抜くというのはこういうことなんだな。この辺のやりとりは、実体験を持って伝わる。ああ、やっぱり年を取った。

シュマリ体制に最後までなじまずにいた男だったという印象はあったが、再読してみて手塚治虫の反体制的な部分がはっきり伝わる。成人したポンションをして日清戦争について、ここまで言わしめている。

日本軍なんざぁ
コテンパンに負けりゃあいんだ!
そう、ぼろくそに負け続けて
日本なんてつぶれてしまえばいい・・・・・
するとこの北海道はまたふたたび
われわれアイヌの手に戻ってくる・・・・ヒック

あまりに感動したので、Wikipediaで「シュマリ」という項目を作ってしまった。

めずらしくスタブ未満のスタンプも貼られず校正が進められている。うれしいかぎりだ。