HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

New Hope, New Life : ともに歩もう

タイの外相、副首相を歴任されたビチャイ・ラタクルさんの講演を拝聴するすばらしい機会をいただいた。講演の全体を書くことはできないが、私の胸にささった、私自身が反省すべきだと痛感した話しをひとつだけここに残しておきたい。

まだ、クメール・ルージュカンボジアを支配していたころラタクルさんは、カンボジアの地雷原を訪問したという。兵士の案内なしでは歩くこともできない地雷原の中のタイとの国境付近の村で、片足を地雷でふきとばされた男性と会った。この男性には、妻と幼い娘がいた。しかし、とても貧しかったので、片足になってしまった男性との将来に絶望した妻は出て行ってしまった。この男性がようやく手に入れた義足は貧相なもので、自分の足に調整されたものではなかった。歩くだけでも苦痛ががまんできないほどだった。それでも、娘のために働くのだとラタクルさんにうったえた。

何年か過ぎ、再びラタクルさんは同じ村を訪ねた。以前の男性がどうなったか訪ねてみた。男性は、ある奉仕団体により新しい、きちんと調整された義足を手に入れ、生懸命働き、娘さんを学校に入れることができたことがわかった。苦労に苦労を重ね、娘さんはとうとうその学校を卒業することができた。卒業のお礼に、娘さんは父親になにかプレゼントしたいと想ったが、あまりに貧しくなにも持っていなかった。父親と写った一枚の古い写真に「これからは共に歩みましょう」と書いて贈った。

ラタクルさんは、「この男性は、単に新しい義足が手に入ったから新しい希望、新しい生活が得られたのではない。(娘さんだけではなく、この奉仕団体のように)共に歩もうとする人々がいると知ったからだ。」とおっしゃった。人間は、気にかけてくれている人がいるとわかるだけで力が湧くものだ。

ちなみに、この村の地雷は、同じ奉仕団体の東京からの発案で10年をかけて除去されたという。

人の友愛とはそういうものではないだろうか。