HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

成田大好き!

今年の私のテーマは「成田大好き」だ。

ということで、さっそく成田山新勝寺へ初詣にいってきた。

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成田山の参拝の方々の分布も、きっとべき分布だな。都内の満員電車なみに混んでいる部分は面積的は、ほんのすこしで、中くらいのところは中くらいの面積が広がり、あまり混んでいてないところが莫大な面積を占めている。


ま、ブログ界隈話はともかくとして、撮ってきた写真を上げておこう。

知られざる成田山と小泉元首相をつなぐこの方。

「横須賀泉勝講初代講元」である小泉岩吉の銅像がある。小泉岩吉は元総理大臣小泉純一郎の祖父の弟にあたる人物で、その銅像は日露戦争の戦勝を記念して建立されたが、戦時中供出され、1955年(昭和30年)に小泉純也(小泉元総理の父)によって再建されたものである。

成田市の戦争遺跡1 - 千葉県の戦争遺跡

この写真の碑は再建した時のもの。「小泉純一郎」とある。小泉岩吉さんは、大叔父になるわけか。


成田山といえば、市川團十郎と縁が深い。石碑もさがすと結構ある。

祖母にこの膝に座らされたときには、学者だとばっかり思っていた。実はこの額堂を寄進した団十郎の坐像。どうりで、長じてうちの一族はみな芸事に走るわけだ。


忘れてならないのが、三池大僧正。いまの成田山を語る上で、触れずにはいれない方。

生没年 嘉永元年(1848)〜明治29年(1896)

略歴  嘉永元年(1848)成田に生まれる。安政4年新勝寺十一世照嶽上人に従って得度、慶応2年京都智積院に入り灌頂をうける。明治6年密蔵院住職となり、明治16年35歳の若さで新勝寺14世貫首に就任。明治19年新義派大学林の創立に参画、明治20年英漢義塾の創立に尽くし、同年千葉感化院院長となる。また明治26年から成田鉄道の架設に尽力するなど、多くの社会福祉活動に取り組んだ。明治27年退隠し、智山派独立運動に賛同、独立願を内務卿山県有朋に呈出するが、明治29年49歳の若さで没した。成田鉄道の開通、智山派の独立は師の没後達成した。

403 Forbidden

成田鉄道とは、現在の千葉交通のことらしい。

当初は成宗電気軌道と称して路面電車を、後には成田鉄道と改称して鉄道路線の運営を行っていたこともあった。路面電車については成宗電気軌道の項目を参照のこと。

千葉交通 - Wikipedia


私にとって思い出深いのは、成田山公園の森とお池。

公園の一角には、日本でも珍しい書道美術館がある。

ちなみに以上は午前中の風景。午後はまたすごい人の出だったという情報あり。修行でもあり、参拝はやはり午前中がおすすめ。


■うれしいな!

成田のことを書いてくださっている。

*1:縦に線がはいっているのはノイズではなく、避雷針。