HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

水の3つの状態、2つの相転移

昨日のエントリーはがらにもなくウケを狙ってしまった。からぶりで終わっただけならまだしも、いくにんかの方に大変不快な想いをさせてしまった。お詫び申し上げたい。

やはり、元の路線に戻ろう。

先日、長岡の三島億二郎の話を聞いたときに、明治維新とはまさに相転移であったのだなと気づいた。江戸時代には、不倫は死罪であったわけだし、各地に関所が設けられ移住の自由はなかった。なんだかんだいっても身分制度はあり、個人の自由が制限された状態であった。つまりは、個人という社会を構成する分子はその位置を固定されていた。こうしたいわば氷の状態である江戸時代から、まがりなりにも自由が認められる明治以降の水のような社会への移行は、いわば相転移であった。

相転移に際には、非常なエネルギーが必要なように明治維新には莫大な社会的なエネルギーが必要であった。相転移の際にこそバタフライ効果が認められる。そのときに、ほんの少しのチョウチョの羽ばたきがその後の社会の形を決めた。また、相転移のエネルギーの名残は、自由になった人々を商売へ、学問へ、文学へと、駆り立てたとこいえる。

「いいあんばい」という言葉がある。先日の「現代思想としてのギリシア哲学」で紹介されていたタレスではないが、液体の状態の水は実に「いいあんばい」である。水の状態の日本は、実に「いいあんばい」であったといえる。水は固体、液体、気体の3つの状態の間で相転移を繰り返し、地上に命をもたらし、これをはぐくんでいる。貧しくあったり、戦争をなんども体験したりと、その時代、その時代の諸先輩方に言わせれば、大変な時代であったかもしれないが、この間に人口は3倍にもなり、日本のすみずみまで、生活水準から言えばはるかに豊かになったのが「水」の時代であったともいえる。

私の杞憂であるのかもしれないが、いままさに日本の社会で起こりつつあるのは、水から気体になってしまう相転移ではないだろうか?リンドン・ジョンソンのグレート・ソサイエティー政策の結果、家族が崩壊して、米国の社会の治安が一気に悪化したように、地域毎の社会のハブが機能しなくなり、すべての政策が個人を単位としている。人口は減ったが、世帯数はまだ増え続けていると理解している。これは、いままさに日本の家族制度が崩壊しつつあることを示している。ここにもべき乗則的な効果があり、自己組織化臨海現象の砂山の砂のひとつぶがおちるときに、大きな雪崩=相転移が怒るのでないだろうか?

考えてみれば、いや、考えるまでもなく、液体から気体になるとは蒸発することだ。次の相転移は「蒸発化」だとするとそら恐ろしい。かつ、個体から液体に相転移するときよりもより多くのエネルギーを必要とするため、気化熱はものを冷凍するのに使われている。「蒸発」した後に、「急速冷却」というシナリオが一番恐ろしいのかもしれない。