HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

6つの愛と呼ばれうる行為

パンツをハサミで切っちゃうとか、ストッキングを引きちぎっちゃうとか、重松とは思えない展開だった。いや、違うか、官能小説なのに実に重松的だった。

愛妻日記 (講談社文庫)

愛妻日記 (講談社文庫)

「疾走」とかでもそうだったけど、重松の暴力性というのはどこから来るんだろう。夫と妻のささやかな性の現場を書いているのだけれど、どこかに狂気につながりそうなほどの暴力性がにじんでくる。それはたとえばショートピースが引き出した狂喜と凶器であり、自分の学習机の上での行為であったりする。

それにしても、この手のってごくごく小さなアイテムというか、しぐさに作り手の性的な嗜好がでるよね。というか、愛の形にゆがんだものなどないな。いや、形のところよりもっとゆがんだ愛の形を重松は示したかったのかもしれない。

再読しなきゃと思ったのは、「饗宴」だね。

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

ちなみに私もソクラテスとディオティーマの会話はピロートークだと思った。

まことに、その(愛と呼ばれるうる)行為とは、美しいものにおいて−−−精神の面でも肉体の面でも−−−美しいものにおいて、子を産むことです。