選挙が終わった。なんというか、漠然と「人は人がほしがるものを欲しがる」という定理から導かれる命題はかずかぎりなくあるな、と妄想を広げていた。
例えば、円だ。日本では、だれもが円を欲しがり、円で貯蓄することになんの疑問ももっていない。こうして、円は空前の大ヒット商品となる誰もが欲しがり、誰もがためこみたがるものとなった。それはあたりまえだろうと、あなたはいうかもしえない。いや、そうではない。例えば、社会主義時代のソ連を考えてみればいい。公定レートで同じ金額が可能な金額であってお、ルーブルとドルではひとの「欲しがり方」がまったう違う。多分、いまの日本人とくらべると、ルーブルとう貨幣をもっていても貯め込むのでなく、当時のロシア人は誰もがほしがるウォッカに使うことを志向するだろう。あるいは、ルーブルという貨幣ではなく外国でも人がほしがるスミノフで自分の財産を蓄えようとするかもしれない。
「貨幣の生成と崩壊」が暗示することは、あまりい誰もが欲しがり貯めこみたくなると貨幣が崩壊するということだ。これは、文字どうり砂山で砂を積もうとしたときに起こる大小の雪崩(カスケード)現象が、お金のやまで生じるということだ。たとえば、これは郵貯などでもあきらかだろう。私は金融政策には明るくないのだが、郵政が今回の「民営化」によりこれまでの郵便貯金、かんぽが別勘定に切り離されざるを得ない状態を迎えた背景には、あまりに巨額すぎて有効な運用先が見つからなくなってしまったと言うことがある。なにせ郵貯、かんぽの残高とか、高生年金の残高とか、それぞれで日本の巨大メガバンクの預貯金残高を合わせたほどあるのだ。一体、世界中の誰が高利回りでこれを運用することができよう。結末は、不良債券化という形での雪崩の発生だ。そして、円は信用を失い日銀がどれだけがんばっても円の国債的価値は下落を続け崩壊するというシナリオを描くことは十分に可能だろう。
郵貯等について連想することを書いておけば、これは円の亜種というかサブジャンルの間の闘争といえないこともないかもしれない。円の統計を見ても分かるように、円は銀行の貯金から、さまざまな形で蓄えられているわけだ。新種が参入する、あるいは旧い種が絶滅しようとするなかでは、自然と適応地形も変化する。そんな感じがする。
なんとなく、政治家について同じことがいえると思うのだが、あまり検証可能でないことはこれ以上書かないほうがよいかもしれない。