HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ばかの壁?

しかし、非常に的確なご意見をありがとうございます。「バカの壁」というのは、読んでいません。が、私には禅を曲解しているとしか思えないのですが、日本の国では、愚かである、バカである、ということがはばをきかせる条件だ、くらいに思っている人が多いですよね。なぜなんでしょうね?

ご存じのように、英語でsimpleといえば、simple simonではありませんが、ほんとうにネガティブな意味ですよね。でも、お茶とか禅とかでの、単純さというのは、そこに途方もない広がりを内在している単純さなんですよね。現代の日本では、英語のシンプルと禅の単純さというのをごっちゃにしてしまっているような気がしてなりません。

あの、ほんとうに小さいころから「おまえは頭がいいな。」という言葉をほめ言葉として聞いたことはありません。この言葉のあとに、必ず「おまえは頭でっかちだからいかん。もっと、ばかになれ。ばかにならなきゃだめだ。」と言われて育ちました。(あ、幸い親からはそうは言われませんでした。親はいまでも私のよき理解者です。)んで、日本においてはそれは真実なんですよね、恐ろしいことに。会社であれ、役所であれ、果てはお寺のお坊さんまで、ばかでなけりゃ先へすすめない、ばかでも先へ進める、ばかだからこそ先へすすめるシステムになってるんですよね、ほんとうに恐ろしいことに。

禅でいっている「頭でかんがえてちゃだめだ」というのは、たぶん自分のできるめいっぱいのことをしなさいよ、あなたは頭だけの存在じゃないでしょ、全身全霊を生きることに使いなさいよ、という意味だと思うんですね。だから、愚行をしなさいというのは、気おらず、かたくなにならず、それでも、めいっぱい生きなさいよ、行動しなさいよ、ということだと感じます。それをどう勘違いしたか、ほんとうに陽明学やら仏教を聞きかじった上司のまたぎきくらいで理解したきになって、夜どこに飲みに行くかくらいしか考えていない、自分の利益しかのぞんでいない、小役人どもが、愚かであることを絶対にしてしまったような気がしてなりません。