HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

NTTの野望

最近、子どもがNTTの回線でガンダムを見ている。どうもネットはネットでも、インターネットのIPTVでなくNTT独自のネットだというところがみそだというのだ。まもなく民放のネット配送が許可されるらしいのだが、県別にわかれた放送免許の境界を越えることはできないらしい。ということは、誰が受信可能かを選別できる、ネットの接続の部分からインフラを持っているNTTのみがIPTVで民放を放送できるということになるらしい。

ま、実際にガンダムの放送に携わっている方にたまたま会ったのだが、やはり巾乗則的というのか、放送開始時点にネットのインフラをゆるがさんばかりのアクセスが集中するのだそうだ。もし民放の放送が始まったとしても、そのアクセスの膨大さにNTTは莫大な投資を一社でしなければならないはめになるのではないだろうか?

私自身はほとんどテレビを見ないので、その大事さがわからないのだが、まだやはりそれでも民放の放送番組は人々にとって不可欠なものなのだろうか?

なんかひま

いや、リアルではひまではないのだけれど、ネット界隈でなんかなにしていいかわからない。

共有地の悲劇」とロジスティック式、群集生態学とかとでべき乗則経由で橋をかけられそうな気がするんだけど、今一頭が動いてこない。

「ワイルドスワン」を「公」への信頼性の物語として読み解くことができそうな気もしている。また、著者の家族の仏教への信仰から考えてみたい気もする。

そうそう、今朝ふと気づいたのだけど、以前ブログで書いた中国の禅寺に「諸悪莫作 衆善奉行」と書いてあったのを思い出した。門の裏側で、帰り道で気がつくようにできているのが禅なのかもしれないと思った。共産主義でも、やはりこういうことは普遍性をもつのだと信じる。

それやこれやとネタはあるのに頭がまとまらない。それでは、また明日。