娘は母親に厳しい。
- 作者: 佐野洋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/04
- メディア: 単行本
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娘と母親の関係は、確かに狂気をはらんでいる。
あゝ、世の中にないものはない。
ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。
少しずつの狂人が、ふつうなのだ。
この母親と娘の狂気のやりとりは、ギリシアまで、いや、人類の歴史で「おばあちゃん」という存在が発生したときから始まっているのではないか。生物の中で「おばあちゃん」が存在するのは人間だけだと聞いた。生殖できなくなってからも寿命が続くのは人間だけだと。他の生物は、生殖ができなくなったら寿命は尽きる。*1
娘と母親の間にはありとあらゆる矛盾を抱えているという書評を読んだ。共感した。
母を憎んでいる人も、愛している人も、みんな母が重たいのだった。
お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
本書の中に、河合隼雄さんがちょこっと出てくる。自己実現という意味では佐野洋子と、彼女のお母さん、「シズコさん」のたどった道はあるべくしてあった。ただ、それはあまりに遠い道だ。佐野洋子は、自分自身が年寄りになって初めてこのエッセイを書けた。
ほんの少し前の日本では、人はここに至る前に死んでしまっていた。それが幸せであったか、このエッセイを書ける地点まで長寿であるのが幸せであるのか、私には判断できない。
もうちょっと視点を引いて人口論的に言えば、いまは団塊の世代のあたりで「世代」の大渋滞を起こしている。
「大渋滞」をシミュレーションする西成教授の方法は、連続するセルを道路にみたてて、そのセルに車が入っているかいないか、一定の条件を満たせば進めるかといった構造だと聞いた。私が以前人口動態をシュミレーションするのにつかった、パイおりたたみ型の手法と同じだ。
いや、ちょっと視線をひきすぎたかな。この渋滞により、親子の関係が大変複雑になっている。しかし、この世代の渋滞は、案外早く解消するかもしれない。この親子関係の複雑さは、過渡的なことかもしれない。
*1:つまりは、セックスできなくなったら死ぬ、と。