HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

巌流島

上陸した。よくこんな潮の流れの激しいところで試合をする気になったなと。

かつてはすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉名護屋から大坂への帰路の途中でここで乗船が座礁転覆し毛利水軍によって助けられたといわれている。このとき船と運命を共にした船長の明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれていた。岩礁は大正年間、航行する船舶の増加と大型化の障害となるため爆破された

巌流島 - Wikipedia

ついでに渡った下関には歴史的建物も残っていた。よい日だった。