不動明王への信仰は神仏習合、修験道と固く結びついているのだと改めて新熊野神社で教えていただいた。「早起き京都案内」を書かれた麻生圭子さんに感謝申し上げたい。
- 作者: 麻生圭子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2013/10/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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新熊野神社は、後白河上皇によって三十三間堂と「二卵性双生児」、「神棚と仏壇」として創建されたと読んで行って見た。智積院さんもこの本によって見に行くことにしたのだが、それはまた別の機会に触れる。
新熊野神社には樹齢八百年というご神木がそそり立っていた。「抱きつきなさい」と書いてあったので思わず抱きしめてしまった。
熊野古道を請来したと思われる小道がしつらえてあったので、拝見した。その中に私にとって衝撃的な画像があった。
不動明王は仏であり、神であると。そして、矜羯羅童子、制窳迦童子は神であるとある。隣の説明に、荒行で息絶えた文覚上人を不動明王は矜羯羅童子、制窳迦童子を遣わして、再び蘇らせたと平家物語にあると書いてある。後段は引用させていただきたい。
不動明王は煩悩に悩み苦しむ衆生を見て怒っている。その煩悩を炎で焼き尽くすのが不動明王の役割。焼き尽くした後に残る焼き殻を取り除き、心を清明に保つのが神の役割。これを神道では禊祓と言い、神と仏が一体になって迷える衆生を救済する。ここに神仏習合の一つの形を見ることができる。不動明王(仏)矜羯羅童子・制窳迦童子(神)の逸話は、その思想を物語化したのであろう。
お不動様の「眷属」である矜羯羅童子、制窳迦童子を含む三十六童子は、神道の神様であったと。つまりは、お不動様信仰は仏教と神道の両方の信仰のまさに習合にその基盤があるのだと学ばせていただいた。そう考えると、五大力といった信仰も民間から出て来た強い信仰であることの根がわかるように思う。