HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「罪を贖う」

最近私の身の回りで寄付流行りだ。学校、祭り、災害、育英、国際交流、ネタは幸にしていくらでもある。

私は育ち盛りの子どもを抱え、寄付するどころか受け付けたいくらいに想っていた。あるきっかけでやむにやまれず寄付行為を行ってから、癖になったようだ。障壁がなくなったという言い方のが正しいのかもしれない。

考えてみれば「罪を贖う」という時の「贖う」は「pay for」だ。寄付というのも「贖う」行為かもしれない。罪の許しすらも金で買えるものなのか?それとも、自分の労働で得たものを同胞とわけあう友愛なのか?