HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「Wの悲劇」と女性のしぐさの移り変わり

敬愛もうしあげるfinalventさんと池田信夫さんがよい映画だと書いていらした「Wの悲劇」を見た。

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確かに、世良正則がよかった。最初の登場の仕方もよかった。当時だとあたりまえにあった、精一杯真剣な恋愛をしている男を感じた。ラストちかくのクライマックス・シーンなんてフランス映画かと思うくらいよかった。この映画は薬師丸ひろ子に一皮むけてもらうために澤井信一郎監督が作った映画だという。とすれば、世良の役回りは監督の移し身であろう。

野菊の墓」で監督デビュー以降は、自身の映画に出演したアイドルたちを俳優へと飛躍させることで手腕を発揮した。

澤井信一郎 - Wikipedia

しかし、映画を見ている間、私の頭の中は薬師丸ひろ子でいっぱいだった。

映画の中でも、実際の年齢でも薬師丸は、20歳にすぎなかった。窓をあける手つきひとつとっても、いまの若い女性にはないものを強く感じた。特に女優としてかけあがっていくにつれて、その所作に自信がみなぎっていく。しぐさというのだろうか、いまの20代の女性を見ていて女性らしいしぐさというものを全く感じない。しばらく前にみた同じころの映画でも感じたのだが、この20年間に女性の間でなにがおこっているのだろうか?

しぐさは文化だという。だとすれば、文化がひとつ終わってしまったのだろうか?すでに、江戸しぐさは失われてしまったというのに。

■あ、これだ。

さすが、id:godmotherさん!

女の子はその昔は、「おままごと」や「お人形さんごっこ」などの遊びを通して、少し上のおねえさん達に目指すものを感じながら遊びましたし、自分が誰かの世話が出来るようになるのが嬉しかったのを覚えています。

こどもの日でそういえば「ねーねー」がいないなと思った: 極東ブログ

こういう感じがいまの子たちからはまったくしない。自分のことだけ。普通の日常から人の面倒をみるというしぐさがなくなったということ。歌やダンスが巧みになったとのかもしれないが、そして、それは、ごくごくおさないころからの遊びで培われると。なるほどぉ。さすが、姉御!